2014年9月21日日曜日

藍の生葉染め

ブルドーザーで踏み荒らされた中から3つだけ芽を出した藍が
予想以上に大きく育ってくれました。

気がついたら、既に一部に花が咲いていました。
日中だったので水が足りず、ぐったりしてますが、
せっかくなので生葉染めをすることにしました。
花穂がつくと藍葉の色素が減るので
ちょっと時期としては遅すぎではありますが。

種を採る分は残し、適当に刈り取ってみました。

日陰でこぼれ種から生えた藍葉です。
タデ喰う虫も好き好きと言うように
こちらは常に何かの虫がついています。

こちらもやはり花穂が出ていましたので、同様に刈り取りました。

そしてもう一箇所、駐車場の日当たりのよい空き地に数粒蒔いておいた藍です。
肥料も水も一度もあげていませんので、
左に置いた刈り取った畑の藍と比べると明らかに葉の色が薄いです。

駐車場のは染めには葉が少なすぎるので、
畑と日陰の藍の2種で生葉染めを比較してみました。

7月頃に母を連れていった病院の待合室で
NHKのあさイチがかかっていたのですが、
たまたまそこで藍の生葉染めの方法が紹介されていたのに驚きました。
特別な道具も必要なく、手軽にできるということで
実は楽しまれている方も多いのでしょうね。
 左が畑、右が日陰の藍の葉、ともに50gです。
畑の葉の方が厚みがあり大きいです。
生葉染めの方法は、水中揉み出し法、塩揉み出し法などいろいろありますが、
今回は水に揉み出す方法でやってみました。
先に細かく刻んでみます。

布の袋に入れて(これは豆絞りの手ぬぐいです)
これを水の中で揉み出します。

空気に触れないように水の中で揉み続けると、
段々水が緑色になり、ヌメヌメしてきます。
その中に布を15分ほど浸して、
その後取り出して広げて酸化させ布に色素を定着します。
色を濃くするには、これを繰り返します。

生葉は、一般的なすくもからの藍建てによる方法と違い、
絹や羊毛のようなタンパク質の繊維にのみ染まります。
染め用の絹ストールなどはそれなりのお値段になるので、
自分は、古着物市などで白絹地や見本地を探して買っておいて
染めの実験に使っています。

なので、端にこのように紫色のラインが入っているものもあり、
比較実験の際の目印に便利なのです。
今回の実験では、紫ラインの方を畑の葉で染めてみました。
写真ではわかりづらいですが、畑の藍の方が青みが強く染まりました。
葉の揉み時間と強さ、布の浸し時間、
酸化時間などについて条件を完全に一致させることはできませんでしたが、
やはり肥料を与えた葉の方が色素生成量が多いようです。

念のため、液をペットボトルに入れて暫くおいたところ、
液の状態に明らかな差が出ました。
左が畑の藍葉の液です。

これは、春に石徹白で開催された森本喜久男さんの天然染めワークショップで
ケヤキとキハダで染めていた臈纈絹のハンカチに、
生葉藍の染め液を刷毛で引き染めした部分です。
(既に蠟は溶かして洗った状態です)
改めて蠟で模様を描いておいたこともあり、面白い色が出ましたが、
最初のデザインが行き当たりばったりのどうしようもないものなので、
全体はお見せできません(笑)

残った汁で野蚕のストールも染めてみましたが、
時間が経ちすぎてしまったせいか、あまり濃く染まりませんでした。
次に葉を刈り取る時にもう一度染めてみようと思います。

残った葉は乾燥させ、干し葉藍としました。

2014年9月18日木曜日

砥の粉を作る

スイカの季節も終わりで、
父が次に白菜を植える準備で畑の土を掘り返し、石をどけていました。
その中に、このように粉々に割れる石が混じっていました。
以前から、山科砥石みたいで気になっていたのですが、
今回の畑の穴掘りで大量に出て来たのです。

これは元々ここにあった石ではなく、
同じ町にあるとは言え、うちから自転車で1時間近くかかる山の土が
たまたま工事で出ていたのを貰って、整地の際に使っていたという話でした。

これは十分砥の粉になるんじゃないかと思い、
雨が降って粉々にならないうちにさっそく集めてみました。

一見、砥石になりそうにも見えるのですが、

表面の畑の泥を落とすつもりで水洗いしただけで、
「キュー」っという音を出してどんどん水を吸い込み、
軽く手で揉むだけでこのように粉々になりました。
木槌か何かで砕こうと思っていたのですが、その必要もなく。

何度か攪拌し、上澄みだけを別の桶に入れて暫く置くと、土だけが沈みます。
鉄分も含まれているので、上に油膜のようなものも浮きました。

沈殿したドロドロの土だけを、以前作っていた石膏型に流し入れて
水分を早く抜きました。
これは、形の良いスイカが気に入り、何かに使えないかと型取りしていたものですが、
意外なところで役に立ちました(笑)
陶芸教室などでは、防火建材の石膏ボードの上に広げています。

日の当たるところに置いておいたら、数時間でこんな感じに。

夕方にはここまで乾きました。

たった一日で結構な量が取れてびっくりです。
父によれば、この場所の石(土)を使って焼き物を使っていた人もいるとか。
練ってみましたが、今の状態ではコシがなさすぎて、
陶土にするには少し寝かすか何かせねばならなさそうです。
しかし、機会があればどこかで試し焼きをしてもらおうと思います。

玉砥の粉として使うために、小さく丸めて乾燥させます。
固形にしておくと粉末状態よりも不純物が入りづらいので、安心して使えます。
これをさらに水簸すれば、もっと粒子の細かいものも作れますが、
それは必要になってからということで。

日本で唯一の砥の粉産業がある京都山科でも、
現在、進藤謙商店一件のみが製造しているだけだそうです。

しかし、倉本砥之粉もまだサイトがあります。

2014年9月12日金曜日

ウズベキスタンのラッカー

今回、ウズベキスタンに行くことを周囲の人に言った時
「・・・ウズベキスタンてどこにあるの?」と質問される他に
「ウズベキスタンにも漆はあるの???」
と必ず聞かれました。

海に出るには2つの国境を越えねばならないという乾燥した内陸の大陸性気候ですから
残念ながら漆の木もありませんが、ラッカー製品はありました。

タシケントのウズベキスタン工芸美術館にあった作品の一部の写真を
こちらにまとめました。

イスラム圏では17世紀頃から筆記道具を入れるスライド式の筆入れが
パピエ・マッシェ(紙胎)で作られていました。
ミニチュア絵画を描いた上に透明塗装を施したものです。

そして、ロシアでは、おそらくドイツやフランスから技法が伝わった
フェドスキーノに代表される
パピエ・マッシェの小箱にロシア風の絵を描いたラッカー製品が作られています。

ウズベキスタンにはインドからイスラム圏まで広く見られる
ミニチュア絵画の伝統もあり、
現在のウズベクのラッカー製品はそれらの特徴を合わせて作られているようです。
現地で購入したウズベキスタンのミニチュアラッカーの本によれば、
歴史は1970年台くらいからと、比較的新しいもののようです。

外が黒く、中が赤いのはロシア風です。

サマルカンドの紙に描かれたミニチュア絵画も現在も製作されています。
これがパピエ・マッシェの箱に描かれているわけです。

 製作工程のわかるものがありました。
本にはこれはdistemperで描かれているとありました。
おそらくアラビアゴムと顔料を混ぜたもので絵を描き、
スクラッチなどの技法で印影もつけた上に
透明ラッカー塗装を施して仕上げを行うようです。

 ザクロはスザニ同様、子宝のシンボルでよく使われるようです。

そして綿花。

残念ながら今回ラッカー製品を作っている工房を訪問することはできませんでしたが、
本に出ている「代表的なミニチュアラッカー作家」以外に
あちこちで見かける品はどれも「手が違う」ので
それなりの数の工房があるのではないかと思われます。
20世紀になってから始まった「伝統工芸」というのも大変興味深いです。

2014年9月10日水曜日

秋の庭

さて、ウズベキスタン話を小休止。
帰国して数日雨の後、庭に出たらすっかり秋になっていました。

 漆の木は、父親がスイカの日当たりのために枝を払ってしまうので、
相変わらず幹が太くなりません。
漆の木に見えないですね。

 ぎりぎりに植えた綿は、8月末からの雨のおかげで
驚く程背が伸びていました。

実はぼちぼちと育っていますが、
ウズベキスタンじゃもう収穫時期に入るかなという感じで
道路沿いの綿畑は白い綿毛が見えていたんですよね。

スイカはもう終わりで、畑も寂しくなっていました。
今年も90個くらいできて、ご近所に配りまくっていました。

そして、百日草に隠れていた、こぼれ種から育った藍は、
なんとこんなにわんさか育っていてびっくり!
これがたった3粒の種から育ったのですから。
せっかくなので、今年も種を採るために刈り取らないでおこうと思います。

サマルカンドの紙(補足)

さて、肝心の完成したサマルカンド紙の写真をお見せし忘れました。
工房の右手にはショップが併設されていて、購入ができます。
これらA3サイズが8,000スム、A1が20,000スムでしたが、
A3サイズは片面を磨いてありました。
ほとんどが花や外皮を混ぜた飾り紙で、何も混ぜない紙はほんの少し。
一応色別に並べられていますが、品質はバラバラでした。
厚さはご覧頂いてわかるように、かなり厚めの一種類のみ。

ノート、カード、お面などの他、紙衣もありました。
サマルカンド紙に絵を描いたカードは多のお土産物店でも見かけました。

スザニと同じ刺繍がされています。

これらは紙スザニですね。


 紙の梱包はなかなか凝っています。

 紙筒に結んであるのは桑の樹皮。そしていちいちスタンプを押してくれています。
これはなかなかお洒落です。

これがA3の紙の艶なし、艶ありの面です。

厚みがかなりあるのと、漂白がされていないことで、
残念ながら用途は限られてしまいそうです。

Meros Paper Millについてここで説明がされています。

2014年9月9日火曜日

サマルカンドの紙

ウズベキスタンと言えば忘れてはならないのが、
サマルカンドの紙です。
751年の唐とサラセン帝国が戦ったタラス川の戦いで
捕虜となった中国人から紙の製法が伝えられ
この地で製造が始まったのが753年、
それがアラブを経由し、スペインに伝わったのが12世紀です。
このおかげで、それまで羊皮紙に書かれていた聖典が
紙にも書かれるようになったわけです。

サマルカンドの製紙工房ももちろん地球の歩き方に掲載されています。
ここは見学だけで一人3,000スムの入場料を払う方式です。

紙の原料となる木の皮が吊されています。

通路では、女性2人が木の枝から樹皮を外し
さらに外皮を剥いています。

ここでの製紙材料は桑。
枝を一日水に漬けておいて皮を剥ぎ、さらに外皮を剥ぐそうでし
日本だと蒸してから熱いうちに皮を剥ぐのですが、桑は柔らかいのでしょうか。

そして、煮熟も、普通の水で煮るだけだそうです。
砂漠地帯の川の水はアルカリ成分が多いから必要ないのでしょうか?
これも驚きです。

水だけでもかなりのアクが出ていることがわかります。

これを、水車を使った臼で撞きます。


大変な叩解作業もこれなら楽ですね。

紙漉きの様子です。
まず、漉き船から紙料を適量掬います。
そして、前後左右にちょっと揺らしていました。
既に予想はしていましたが、ここにも日本の和紙の技術が入ってしまっているのですね。
しかし、ネリは一切使っていないという話でした。
枠を外し、

ひっくり返して上から押さえてある程度の水分を絞り、

右側にある大きめの別の紙の間に挟み、

重石を乗せてさらに絞った後、一枚づつ剥がし、

 生乾きの状態のものを

木の板に貼って乾燥させるそうです。

乾燥した紙は、大理石の台の上で磨いて艶を出します。

磨きに使われているのがこのイモガイ。
間違いなく海の貝です。内陸のウズベクで、これも怪しい。

この時使っていた漉き簀の網は金属製でしたが、


やはり日本の竹で編まれた漉き簀も飾られていました。
ブータンでもそうでしたが、
日本の和紙の製法で作る方が丈夫で均質になり高く売れるからという理由で
その国に伝わっていた伝統的な製法はどんどん行われなくなってしまうのですよね。
これに関しては日本人として、何とも言えない気持ちになります。

外には、マーブリングの体験用と思われる道具も置かれていました。


 裏庭を使って、様々なワークショップも行われているようです。

裏庭は水路が両側にあり、大変気持ちの良い場所でした。


ここにもスザニが屋外に。






職人のお兄ちゃんの手はTシャツの色と同じ緑色に染まっていました。
紙を染めていたそうです。