2014年7月30日水曜日

藍のひとしずく

バタバタしていたら7月末、栽培されている藍は一番刈りの時期を迎える頃です。
4月末の石徹白での自然染めワークショップに参加されていた、
戸塚みきさんの「しずく地藍工房」では
藍の栽培からすくも作り、藍建て、染めまで一環して行われているとのこと。

車を運転しない私に、「最寄り駅まで来てくれれば迎えに行きますよ。」
と言ってくれていたのをここで思い出し、
刈り入れ直前の藍を見に行かねばと慌てて連絡を取ったところ、
夏の一番忙しい時期なので今月中にして下さいという返事を頂き、
申し訳ないので、何か手伝いができることがあればと
作業服持参で翌々日に急遽伺うことにしました。

JR中央線を恵那駅で明智鉄道に乗り換え、
降りたのは昔懐かしい、木造の無人駅。
降りたのは近くの高校に通う高校生が10人くらい。
こういうローカル電車は学生の乗降客がなければ存続は難しいでしょう。

駅から車で15分くらいで到着。
最近では珍しい、純和風のご自宅の横に建てられた工房の中には

270リットル入るという立派な藍甕が4つ設置されています。
戸塚さんがひとりで数日かけて地面に穴を掘って埋めたという苦労の賜です。
4つの甕の真ん中は、冬季、保温のために燃やす籾殻を入れる場所です。
籾殻はゆっくり燃えるため、余裕で一晩保温することができるそうです。

奧が今使っている藍2つということで見せて頂きました。
絵に描いたような立派な藍の華が浮かんでいます。
 しかし、良く見ると
 左手側の勢いは弱く、
右手側は盛り上がりが大きいことがわかります。
これでわかるように、奧の瓶の藍の方が色が濃く染まり、
手前は薄い色を重ねたりと、使い分けができるとのことです。

横にはすくも部屋が作られています。
ここに刈り取った藍を入れて発酵させ、すくもを作るのです。
下には保温と水はけのための籾殻を敷いた上に、さらに筵が敷かれています。

昨年作った自家製すくも。
置いておくとどんどん乾燥していくので量は減っていきますが、
すくもは古く熟成したものの方が良いので、寝かせて古いものから使っているそうです。

さて、では藍畑に!
左側と先は普通の稲が植わっている田んぼに並ぶ、藍の段々畑です。
奧に見える木の生えている下は川が流れる素晴らしい環境!
そして、土は真っ黒のクロボク、水田よりもむしろ畑に向く土です。

戸塚さんは有機農法と自然農法の2通りで藍を育てているそうです。

こちらが有機農法の畑

花穂が出ているものもありました。

私が草取りを少々お手伝いした自然農法の畑は、
しずく地藍工房の企画、4月から11月までの年6回で、
藍の種蒔きから染めまでを行うという「種蒔きからの藍染めワークショップ」
用の畑だそうです。
 この竹笠は魚釣りの人がよく使うもの(魚の模様が編まれています)
背中の藁を編んだ蓑は地元の人が作って売っているもので、
これが夏の畑作業の必需品とか。
特に蓑は、炎天下でも涼しく作業ができる優れものだそうです。
うちの地元では類似のものを見たことがないので、
後で売っているところまで連れていってもらいました。
笠と一緒に父親にお土産にしたら、さっそく翌日から使いだしています。

こちらが自然農法の畑です。
自然農法は、雑草は抜かずに根元から切ることで、
土中の環境を変えないのがポイントなのだそうです。
刈り取った草は藍の根元に敷かれ、地面からの放射熱を和らげ、
枯れて腐れば肥料になります。

慣れた手つきで草刈り機械を操る戸塚さんと比べ、こちらはなかなか進まず。
作業中は写真を撮るどころではありませんでした。

一仕事を終わって手を洗います。
さすが藍染めの道具も洗う水場はアルカリ度も高いからか、
アルカリ土壌を好むオオバコの生育が半端ない!(もちろん水も豊富ですが)

家の前の別の畑には品種の違う藍が数種類、見本として栽培されていました。
これは京都産の「水藍」とも言われる丸葉の品種だそうです。
植物見本としてだけでなく、
こういった少数品種の種を残していくことも目的にしているとのことです。

古くなった藍も、たまに突然復活することがあるので、
毎晩の攪拌(甕掻き)は忘れないそうです。
泊まりがけで長期で遠くに出かけることもずっとしていないとのことでした。

駅まで送ってくれる道すがら、
「藍は別に、人間に青い色を使ってもらおうと思って育っているわけじゃない。
だから人間は、藍に色を使わせてもらっているんだという
感謝の気持ちを忘れちゃいけない。」
と言われました。

自分で土を耕し、種を蒔き、草を取り、刈り取り、すくもを作り、
薬品を一切使わず天然の材料だけで藍建てを行い、染める。
手塩にかけた藍のひとしずくがとても貴重なものに思えます。

2014年7月27日日曜日

柿渋づくり実験

7月も毎日暑いですね。

庭の柿の木にも実がたわわになっているのですが、

この暑さのせいもあってか、毎日いくつも熟す前の実がバラバラと落ちています。
熟した柿が下に落ちて潰れると臭いし汚れるしやっかいなのですが、
熟す前の柿もこのようになかなか土には還ってくれないのです。

うちの柿は甘柿なのですが、
物は試しなので、柿渋を作ってみようかと思いつきました。
普通、柿渋は渋柿の豆柿で作りますが、
甘柿も最初は渋く、
甘くなってからも、加熱すると渋が水に溶出するため
甘柿ではケーキやジャムはできないのです。
どうせ放っておいても腐って土に戻るだけですし、
失敗しても庭にまけばいいだけです。

柿渋を作るには、熟す前の渋柿を潰して発酵させるのですが、
ミキサーなどの機械を使うと渋成分で後始末が大変そうなので、
手袋をはめた手で潰してみます。

落ちた柿を水に数日浸しておくと柔らかくなり、簡単に手で潰せます。
数日分の落ちた青い柿を潰したところ、こんな感じになりました。
まだまだ容器には余裕があるので、新しい実が落ちたら追加してみようと思います。
この暑さでうまく発酵してくれると良いのですが、どうなりますか。

2014年7月20日日曜日

肥料喰い

小学校も夏休みに入り、
ようやくセミの鳴き声も聞こえるようになって来ました。

今年は小雨のため、植物の生長もいまひとつ。
父親の趣味のスイカも、実はついてもその後が育たなかったり。

さて、あれから藍などはどうなったかと言いますと、
まず、去年のこぼれ種から生えたものは、
南向きとは言え、家と家の間に挟まれている土地のせいか、
去年同様、虫がついて背竹もあまり伸びません。
米ぬかなどの肥料をやっても、すぐにナメクジが来てきれいに食べてしまいます。

 右の方に生えているのは10年くらい植えっぱなしのグラジオラスです。
他の植物の日陰になってしまうのも問題です。
ここは茗荷はよく生えるのですが、藍には合わないようです。

さて、では、種を蒔いたものの、父親のユンボで踏み散らされ、
そこから辛うじて出て来た藍。
藁が敷かれているのは、父がこの周辺をスイカ畑にしているからで、
スイカのための肥料も水も十分与えているせいか、
芽が出たのは一人生えよりも1ヶ月も遅かったのにこの生長ぶり!
1つの種からこんなに分けつしています。
他の2本はこれよりやや生長は遅いものの、
葉の茂り方や厚みは、ひとり生えと比べてしまうと、まるで別の植物と思えるくらい
生長が旺盛です。

藍は肥料喰いと言われ、徳島の藍の育て方の方法を見ると、
最初は麦畑などの間に種を蒔き、ある程度の大きさになったところで、
あらかじめ肥料をたくさん入れておいた畑に植え替えるとあります。
この実験で、確かに肥料と日当たりが大切だということがよくわかりました。
今年種が取れたら、
来年は藍のためにちゃんとした場所を準備して種を蒔こうと思います。

2014年7月19日土曜日

コチニールの赤

先日の「赤く染める」の話はラックが中心だったことと、
コチニールについてはペルーに行かれた竹田晋也先生が
現地の写真をお見せくださるとのことで、あまり詳しくは触れませんでした。

竹田先生が2008年に雲南懇話会でも使われたスライドの写真には
メキシコのティオティワカン遺跡の壁画や、
ペルーのパチャカマック遺跡の外壁に塗られたというコチニールの赤色の写真の他、
ペルーのリマに日本人の天野芳太郎氏が設立したた天野博物館の展示品のうち、
遺跡の砂の中から発掘されているにも変わらず、
鮮やかな色が残っているコチニール染めの染織品を見ることができます。
高松塚古墳の壁画に用いられたラック色素も1000年を超えていますが、
コチニールの耐久性も相当なものです。

「コチニール」とは、南米のウチワサボテンにつくコチニールカイガラムシのことで、
少量でも鮮やかで耐光性に優れる赤色が取れることが
南米を征服したスペイン人により発見され、
その後、世界各地で養殖が試みられたばかりでなく、
それ以前にヨーロッパで使われていたケルメスカイガラムシは
色素量が少なく、使われなくなってしまったのです。

コチニール養殖のためにオーストラリアに輸入されたウチワサボテンは
残念ながら何故かそこではコチニール養殖は失敗に終わったのに反し、
天敵のいないオーストラリアの地で爆発的に繁殖してしまい、
今度は南米からウチワサボテンの害虫を輸入して駆逐したという話です。
(詳しくはギルバート・ワルドバウアー著「虫と文明」をお読み下さい)

コチニールは、雌の成虫だけが赤い色素を持ちます。
以下の写真は、以前、イボタ蠟の養殖地の写真をお送りくださった
河合省三先生からお送り頂いたものです。
(河合先生、ありがとうございます)
 ペルーのコチニール養殖地。ウチワサボテンが大量に栽培されています。

 この白っぽい部分が、コチニールカイガラムシです。

拡大するとこのような感じです。
大きく丸いのが雌のカイガラムシ本体で、卵を持っています。
白っぽい粉のようなものは、水をはじく蠟分だそうです。

卵を持った雌のコチニールカイガラムシをこのような袋に入れて
新しいサボテンに接種して増やすそうです

生長した雌は、刷毛などでサボテンから落として集められ
乾燥してから出荷されます。
こちらが普通に見かけるシルバー・コチニール。
これは、天日かあるいは低温オーブンで虫を殺して乾燥したものです。
乾燥しているため、生きた虫の大きさの1/4程度でしょうか。

こちらは、カイガラムシにお湯をかけて殺した後に乾燥した
ブラック・コチニールです。
シルバーの方が色が良いからか、
これに白い粉をまぶしてシルバー・コチニールとして売られているものもあるとか。

これは、私が持っているコチニール5種と(左下以外)、
ブータンのラック樹脂からカイガラムシの雌だけを取り出したもの(左下)を
それぞれ5匹づつ一昼夜、精製水に浸した色出し実験です。
この状態で色がこれだけ違うということがおわかり頂けるでしょうか。

実際の染めには、ペルーではレモン汁を加えてオレンジ色に近い赤に持っていったり、
逆に、水酸化鉄を加えて濃い紫にしたり、様々な赤を出しています。

まだまだ実態が知られていないラックやコチニール色素ですが、
実は、食用色素として我々の口に入っています。
虫を食べている、と嫌がる方もおられるようですが、
蜂蜜も蜂の身体を通して濃縮されているものだと考えれば、
コチニールやラックも、植物の汁を吸って色素を作っているだけで、
決して虫の身体を食べているわけではありませんので、
ご安心頂けるのではないかと思うのですが。

2014年7月14日月曜日

日本に馴染んだ外国生まれ

土曜日の民族自然誌学会「赤く染める」には、
多くの方にご来場頂きありがとうございました。
十分にお話できなかった部分も多く、
また改めて何かの機会があればと思っております。

さて、そんなバタバタの中の京都でしたが、
町中は祇園祭の準備が既に始まっており、
ホテルの方から「もう町中に鉾は出てますよ」と言われ、
翌朝、駅に向かうバスから外を見ていたら、ありました。

祇園祭の山鉾のうちで最大の「月鉾(つきぼこ)」です。
残念ながら、あまりに背が高すぎて全体が写真に収まりませんでした。
当日は生憎の雨で上にビニールがかけられていましたが、
バスが近くに寄ったところで見られたのは美しい絨毯。
インド・ムガール王朝時代の「メダリオン緞通(だんつう)」を含む、
ペルシャ緞通、コーカサス緞通が使われているそうです。

各地の祭山車や曳山にヨーロッパや大陸渡来の染織品が使われているということは
もちろん知識として知ってはいたものの、
お恥ずかしながら祇園祭の山鉾の現物を見たのは初めてで、
思いもかけず前日話題にしていたものの現物が目の前に登場したのは
奇遇というよりも、我々を見てもっとちゃんと勉強しろと言われているのか。
バスが再接近した時には唖然としてしまうばかりで、
写真はほとんど撮れませんでした。

これらはケルメスかコチニールかラック染めなのか。
もちろんアカネも使われていたでしょう。

これらの絨毯が作られた当時は、まさかはるばるこんな極東にまで渡り、
それも絨毯という本来の用途でなく、
日本のお祭りの山鉾の飾り幕として数百年間に渡って使われ続けるとは、
製作者も輸出業者も夢にも思っていなかったでしょう。
そして、それらが日本の伝統風景として違和感を感じさせることなく収まっている、
山鉾のデザイナーと職人の知恵の賜。
世の中、面白いですね。

祇園祭を見たことがないなんて日本人じゃない、
と、当日一緒だったTさんは京都在住の染色の先生から言われたそうです。
残念ながら私も今回は、一泊した翌日は
千里万博公園内の大阪日本民芸館と国立民族学博物館を見にいくことにしており、
事前調査不足に後悔至極。
しかし、大阪日本民芸館と、民博の展示の方も大変興味深いもので、
民博はもちろんとても一日では回り切ることができず、
研究会の後では同じ物を見ても新たな発見があり、大変濃い2日間でした。
祇園祭りはまだこれからが本番。
都合がつけば改めてしっかり見てみたいと思います。

2014年7月10日木曜日

素材選びの大切さ

大型台風の日本上陸で、
空梅雨が続いていた我が家の地域でもやっとまとまった雨が降り、
ありがたい反面、一気に家の中が湿気てきました。

そんな中、去年の秋頃に100円ショップで買ってから
ほとんど使わないままで軒下に置いていた竹ざるに、
思わぬ模様ができていることに気づきました。

このザルは未使用で、水洗いすらしていませんでした。
ご覧のように、黒っぽくなっている部分がくっきり分かれています

もちろんカビですね。
全体でなく、部分部分でかびているところから、
ここからここまでが別の竹なんだなとわかるのが面白いです。

日本では竹で工芸品を作る場合、
3年ものくらいの、生長が止まっているものを選び、
水分量が減少している秋から冬に切り出し、
炭火などで熱して竹に含まれた油をじっくりとしみ出させてそれを拭き取り、
などなどの処置を行い、中の虫を殺し、腐りにくくかびにくく
さらに表面を美しく保つようにします。
囲炉裏の上でいぶされた煤竹は
長い年月を経てゆっくりとその処置がされているのと同じわけですね。

南方の竹は生長が早く、節と節の間が50センチ以上になるような種類もあります。
100円ショップの竹ざるは中国製ですが、
税抜き100円でざるを売るためには、かなりの手間が省かれているはずです。
これも、まだ若い竹を十分乾燥させないまま加工して使ったのだろうなと想像します。
そう言えば、昔、中国で買ったという竹に彫刻を施した
筆立ての修理を頼まれたことがありますが、
直径10センチ以上の太い竹が干割れして、
1センチくらいの隙間が開いていました

せっかくの技術があっても、素材が良くなければ良い品はできないという、
素材選びと加工の重要さを改めて実感しました。

100円ショップはたいへん便利ですが、
そのおかげもあり、うちの町では
100円以上の品物を売っていた店がどんどん消えてしまいました。
100円だから、壊れたり汚れたりしたら使い捨てて新しいものを買う、
というのも現代の生活スタイルに定着してしまったのでしょう。




家にある古い竹ざるは、
長年、梅干しやら干したりして塩や紫蘇の色素が染みこんでいるせいか、
同じ場所に置いてあってもかびたりしていませんでした。

2014年7月7日月曜日

虫の赤

先日、高松塚古墳の壁画に用いられた赤色色素が
ラックから取られた臙脂である可能性が高くなったとの報道があったばかりで、
まさに偶然のタイミングですが
今週土曜日に、京都大学楽友会館で開催される民族自然誌研究会の例会は
テーマが「赤く染める」で、「ラック」についての特集です。
古来より漆が用いられてきた日本では、
東南アジアから南アジアの熱帯雨林に生息するラックカイガラムシの樹脂「ラック」
またはそれを加工した薄片「シェラック」について良く知られていません。
世界最古の現存するラックは
正倉院に薬物として収蔵されている「紫鑛」です。
漆のない欧米では、現代でも塗料としての用途はもちろん、
我々は毎日何かしらラックと接していると言っても過言でないほど
身の回りの隠れたところにラックが使われているという事実や、
アジア7カ国のラックの産地の様子などが写真と現物資料で紹介される予定です。



「ラック」は、ラックカイガラムシの分泌物ですが、
その成分は樹脂と色素と蠟分、その他に分けることができます。
「ラック」は、体質顔料に染料を染めて作った顔料を指す、
「レーキ顔料」の「レーキ」の語源でもあります。
また、ヴァイオリンなどの音色が重要になる楽器類の塗装には
シェラックがベースとなった塗料を用いることが多いです。

なぜ虫が赤い色素を持つようになったのでしょう。
無機物からできた色素でなく、生物由来の色素としては
圧倒的な耐久性と耐光性があるラック色素。
そして、漆よりは強度はないものの、さまざまな用途に用いられるラック樹脂。
最初にこれを使おうとした人はどんな人だったのでしょう?
ご興味のある方はお出かけ下さい。