2014年1月30日木曜日

青海省の鍛金通り

昨年夏の中国調査の折、
青海省のチベット仏教の名刹タール寺に向かっている途中、
道路の右横に不思議な光景が。
何やら大きな金色の物体が並んでいて、外では職人が作業をしています。
これは絶対後で寄って見なければ、ということで、
タール寺の見学も急ぎ足となり、骨董を売る店を見る余裕もなく、
その職人街が開いている時間内にと引き返しました。

ちなみに、この付近は住宅や畑がぽつぽつあるような郊外で、向かいも畑。
そんなところに、このようにきれいに塗装が施された長屋が突如建っているだけでも
やはり目を引きます。
さらに、写真ではわかりませんが、
皆がカンカンと金槌をふるっていて
それなりにうるさいです。


 歩道の上には真鍮で作られた様々な飾りが置かれているだけでなく、
仕事場にもなっています。
歩道の敷石の上にも作業中の品が広げられています。
日中、歩いている人もほとんどいないとは言え、
日本なら公共の歩道の占拠で道路交通法違反ですね。

商店街の一階は、左端にある一件の食品店を除けば全てが鍛金工房、
それも、仏教関係のものだらけ。
 これは、信者がお寺にこういった飾りを寄進することで徳を積むという
チベット仏教の習慣によるものだそうです。
タール寺方面より一番手前の工房から訪ねてみました。
この職人、王さんは現在21才。
彼は子供の頃からこういう仕事がしたいと思い、
地元の鍛金の師匠の元で修行した後、17才で独立してここに工房を構えたそうです。
その時は王さんの工房だけだったのが、その後、続々と他の鍛金工房が軒を連ねるようになり、
いつの間にか鍛金通りができてしまったとの話でした。
つまり、地区や省の方針による都市計画で職人街が形成されたわけではない上、
たった4年くらいで自然にこうなってしまったと。
タール寺に行く車が必ず前を通る場所ですから、作品を並べておけば人目も引きますし、
確かに素晴らしい立地です。
 間口は狭い工房ですが、右手の応接室も中で繋がっています。
元々工芸工房として使えるような設計の建物ではありません。
これはヤニ台です。バーナーの火で熱して柔らかくしたところに
金属をしっかり固定してから細かい加飾を施します。
前の記事に書いた「地の粉」の件もあって、
このヤニは何で作っているかと聞いたのですが、
既に出来たものを買っているという答えでした。

ヤニ台に置かれた鏨のいろいろです。

複雑な立体物は溶接して作ります。
これはガルーダの頭部。
うまいですよね。

右手の応接室のテーブルの上には、
彼がこれまで作った作品の写真がきれいに並べられ
上にガラス板が置かれていました。

その他にもアルバムに写真がまとめられていて、
お客さんがこれを見てすぐに注文ができるようになっています。
おそらく切れ者の師匠のアドバイスなのだろうという通訳のGさんの推測です。
その上、隣接する店舗も使い、飲み物やちょっとしたお土産も売っていて、
なかなかのビジネスセンスの持ち主です。
そこでは、王さんが作った料理用のお玉も売っていて、
それほど高くなかったので記念にひとつ買いました。

全て手作りのお玉が1本20元でした。

と、一通りの説明が終わるとすぐに仕事に戻る王さん。
外で仕事をすることでまた人目を引きます。

 他の工房も、若い職人さんが何人も仕事をしています。
この通りには10数件が並んでいます。
ちょっと考えると皆が商売敵になりそうな気がしますが、
中国では自動車修理工場なども同じ通りに固まっていることが多く、
それぞれにちゃんとお客さんがいるのですよね。

 並んでいる作品をよく見ると、やはり上手い下手があります。
実際、あまりうまくない工房だったのか、閉まっている場所も何軒かありました。
 脇目もふらずに仕事をする人達。
鎚の音が響き渡ります。

大きいものを作る時の当て金です。
狭い工房内よりも外で仕事をした方が気持ち良いでしょうね。

「ヤニ」を溶かしているところです。
側にいる人に、これは何?と聞いても説明できないで笑っていました。
実際、何もわからずに見よう見まねでスタートした人も多いのでしょう。
実際、職人街の端から端まで歩きましたが、
作品のクオリティは最初に工房を構えた王さんがやはり一番上という感じでした。

たった4年くらいで郊外にこのような職人街ができてしまうという
現代の中国社会構造も不思議なものです。

2014年1月25日土曜日

地の粉のいろいろ

「地の粉が欲しい。」
1989年の天安門事件後の10月に中国を再訪し、
当時、北京の中央工芸美術学院に留学していたCさんから、
欲しいものを聞いた返事です。

「地の粉(じのこ)」と言えば、漆の人間なら
漆塗りの下地として漆に混ぜて使う「山科地の粉」や「輪島地の粉」を連想しますが、
Cさんは日本の大学院の彫金科を出た後で中国に留学した人で、
彫る器物を固定するヤニ台に使う、
彫金用地の粉が中国で見つからないということでした。
(中国では違うものを使っているようです)

さっそくCさんの先生、S先生のところに行きました。
当時、彫金用の地の粉は既に製造が中止されていたにも関わらず、
ご自分の最後の20キロ入りの袋を指さし、
「好きなだけ持って行っていいよ」
と気前良くわけて下さいました。(さすがは「仏のS先生」)
当時は100円ショップもない時代ですから、
タッパー代わりのホームサイズのアイスクリームの空容器に入るだけ頂き、
さらに「良かったら漆で使ってみたら?」と言われ、私も少し頂戴しました。
自分の作品に使いましたが、もちろん全く問題はありませんでした。

彫金用の地の粉と漆芸用の地の粉の違いは何でしょうか?
現在は、彫金用具の店でも山科地の粉を販売しているようですが、
彫金用の地の粉は、素焼きの土、
つまり煉瓦や植木鉢のようなものを砕いた粉末だったという話です。
真ん中がS先生の彫金用地の粉、周囲4つは全て山科地の粉です。
(左下以外は人から譲ってもらったもので、詳細は不明です)
写真ではわかりませんが、この中では彫金用地の粉が一番細かいです。

「山科地の粉」という名称で販売されている商品には
粗いものや細かいものなど数種類あります。
元々は山科で取れる砥石の粉の粗いものが「地の粉」、細かいものが「砥の粉」
という差なので、入手時期によって色も微妙に違います。
詳しくは製造会社のホームページで説明されています。

彫金用地の粉を話を漆のM先生にしたところ、
かつて漆用に販売されていた「東京地の粉」というのが同様に素焼きの粉で、
テニスコートに撒く「アンツーカー」も同じものだ、と教えて下さいました。
アンツーカーをどこかのテニスコートでわけてもらうか、
中国なら、煉瓦か瓦を砕いて篩えばいいんじゃないか、とのこと。
確かに、足りなくなる度に日本から持って行くのもばかばかしいですよね。

それから10年後、イギリスに再度滞在となった時、
現地の材料で漆工製作は可能だろうかというテーマで、
イギリスで入手できる粉を使った漆下地の実験をしました。
もう一つの目的として、輪島地の粉が入手できなくなった時の代用品になるものが
もしかしたら海外には普通にあるのではないかと、
研磨材として使われているRottenstoneや、Pumice Powder、Tripoli、
充填材のFuller's Earth、Marble Dust、Gilding Boleなど
入手できるものを手当たり次第試してみました。
ギルディングの下地に使うWhitingや、
骨灰のようなアルカリの強いものはやはり漆の乾きが悪かったり、
Marble Dustのように乾くと固くなりすぎて研ぎにくいものがあったりなどの
問題もありましたが、
ほとんどの粉は漆に混ぜての使用が可能でした。
つまり、日本の下地粉にこだわらずとも、漆さえなんとか入手できれば
イギリスでも漆工品製作は十分できるということが証明できたのです。
(残念ながらその後作品を作る余裕は全くありませんでしたが)

この実験手板数十枚を並べて修了展で展示したところ、
粉の種類によって微妙に異なる色あいがとても美しい、
(ギルディング用の箔下砥の粉には複数色がありますので)
上から漆を塗ってしまうのは勿体無い。
これで絵を描いたらどうだ?とまで言われました。(笑)

これらのうち、研磨材として使うRottenstoneは輪島地の粉と同じ珪藻土です。
(Rottenstoneには風化した石灰岩でできたものもあるようで、
別名ともされるTripoliはもちろんリビアの首都の名前からきていますが、
現在では他国産がほとんどで、白やピンクやベージュなど様々な色があり、
それぞれ粗さも微妙に異なります。)
左が輪島地の粉4辺地、右がRottenstone(Mylands社販売)
http://www.mylands.co.uk/p-223-rottenstone.aspx

このMyandsのRottenstoneは輪島地の粉の4辺地よりもずっと細かく、
輪島地の粉は米粉で作った糊(姫糊)を混ぜないと使えないので、
糊を作る手間がかかるのに比べ、
Rottenstoneは糊なしでも使え、価格も普通で、これは画期的な素材だと喜んでいたのですが、
つい数日前、K美大を出たNさんから、
K美大では輪島地の粉に糊を入れないで使っていた、という話を聞いてびっくり!

「輪島地の粉には糊を混ぜないとモサモサして使えない」というのは
先生から教わっただけでなく、漆のバイブルでもある澤口悟一著
「日本漆工の研究」にも書かれており、
一度も実験することもなく信じて疑っていませんでしたが、
そう言われたら実験するしかありません。

輪島地の粉(3辺地)に水を混ぜず直接瀬〆漆に入れて練ったもの(1)と
水で練った輪島地の粉に瀬〆を混ぜたもの(2)を作り、手板に塗ってみました。
想像していたよりもはるかに普通にペーストになりましたが、
作業性においては、糊を入れた地の方がスムースに塗布できるという感じがしました。
水を加えていない(1)は漆風呂に入れなければ固まらないはずなので、
普通に湿した風呂に入れました。
(2)は、普通に室内に置きました。
(真冬ですから夜間は0度近くになっていたはずです)

その結果
左が(1)、右が(2)です。
表面を少し研いでみました(右上斜め部分)
寒さのせいもあってか(1)はまだ固まっていませんでしたが、
(2)は24時間経っていないにも関わらず、十分固くなっていました。
地に糊を入れるのは後の研ぎの作業性も考慮した結果なのでしょうが、
強度面からすれば糊を入れない方が圧倒的に丈夫なのは間違いありません。
(1)もこのまましばらく置いておけば膿まないで固まりそうな感じがしますが、
これを研ぐのはかなり大変そうです。

しかし、何でも試してみないと本当のところはわからないものだなと
改めて納得した次第です。

また、輪島地の粉も自分が学生時代から
もうすぐ材料の土がなくなる、なくなると言われ、
当時から輪島漆器組合の組合員限定販売とされていましたが、
まだ作っているようで良かったです。

2014年1月22日水曜日

会津蝋について(補足)

昨年末のブログにイボタ蝋について書きました。
その中で、「蝋燭にも使われていた」という部分について、
会津の蝋燭は漆蝋で作られていたんじゃなかったかなと、
検索をかけたり調べたりしたところ、
日本財団図書館の「会津の漆蝋の歴史と技術」内
に、「日本山海名産図会」(1799)内に説明があるものの、
現在、伝承が聞くことができないとあります。

この件について、河合省三先生と梅谷献二先生にご質問させて頂いたところ、
梅谷先生より以下のご回答を頂きましたので、
補足させていただきます。

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イボタ蝋の主産地が会津であったことから「会津蝋」と呼ばれていたことの出典は、
小野蘭山の本草講義を息子の小野職孝が筆写して発行した『本草綱目啓蒙』
(享和3<1803>)が廃版になったのを、さらに梯南洋が増補して復刻発行した
『重修本草綱目啓蒙』(全四十八巻、弘化元年<1844>)で、
その「二十七 卵生虫」に登載の白蝋蟲の項にあります。

ただ、会津藩は木蝋の産地として知られ、特産品としてローソクも有名でしたが、
イボタ蝋でローソクが作られた形跡はなく、
おそらく、会津蝋と俗称されていたものは生物由来蝋の総称だった可能性はあります。

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また新たに情報が入りましたらお知らせします。


2014年1月13日月曜日

海の泡

ミュンヘンの古城を調査訪問した際、
白い石のようなもので作った彫刻品がありました。
(残念ながら写真を撮っていません)
不思議な質感で、案内をしてくださった友人のお父さん(ドイツ人)が
これはパイプなどを作る、気泡が多いために軽くて加工しやすい石だと、
聞いたことのない名前をおっしゃられるので、
ノートに綴りを書いていただきました。
"Meerschaum"
ドイツ語の意味がわからず首をかしげる私に
「sea foamという意味だよ」と説明してくださいました。

帰宅して調べてみると、日本語では「海泡石(かいほうせき)」
まさに直訳そのものの名前でした。
Meerschaum(ミーアシャウム)の日本語読み表記は「メアシャム」。
渋谷のたばこと塩の博物館に展示されていました。

右上のように、使うにつれなんとも言えない色に変化していくようです。
気泡を多く含むため、熱も伝えにくく軽いことで
パイプに適した素材と言えるでしょう。

さて、突然ですが、
これはシェットランドの肉用の羊です。

そして、これは羊毛用の羊。

写真ではわかりませんが、羊の毛は雨などの水をはじくよう
「ラノリン」という成分が含まれており、
触ると結構べたべたしているだけでなく、かなり獣臭いです。
大昔、ロンドンのクラフトマーケットで
ざっくりした手つむぎ・手編みのセーターを買いました。
耐水性が落ちるからあまり洗っちゃいけないとアドバイスされたものの、
とにかく常に家畜小屋のような匂いがして、
どうにも我慢できず洗剤で洗ってしまいました。

このラノリンを除去するためにはsepiolite(シーピオライト)という石の粉が使われます。
これは、油分を吸着する気泡だらけの比重の軽い鉱物で、
実はMeerschaumと同じものです。
主成分はマグネシウムとケイ素(Mg4Si6O15(OH)2·6H2O)。
研磨材としても使われる甲イカ(sepia)の軟骨に似ていることから
ついた名前だということです。
ドイツのKremer Pigmenteで売られているsepioliteです。
珪藻土よりも、さらには小麦粉よりも軽い感じです。

これをわざわざ購入したのは、羊の原毛から油分を除去するためでなく、
この緑色の家具と関係あります。


これはフランスの家具職人René Dubois作のファイル・キャビネットで、
Vernis Martin(ヴェルニ・マルタン=マルタン・ワニス)という、
コーパルと亜麻仁油が主成分の透明ワニスで塗装された家具の代表作のひとつです。
この緑色塗膜部分を分析したところ、sepioliteが検出されたとの話で
それの復元実験をしようと思ったのです。

どうしてこれにわざわざsepioliteが使われたのか?
実験してみてもいまひとつ理解できなかったのですが、
たまたま身近にあっただけという単純な理由かもしれません。
海の泡の粉でできた青色の家具だったらさらに夢があったかなあ、
なんて勝手に思ったりしています。

2014年1月10日金曜日

馬毛の利用

各地で珍しい素材を見つけるとついつい買ってしまうのですが、
使わないまましまってあるものがたくさんあります。

いきなりこんなものが箪笥に入っていたら驚きますね。
これは馬のたてがみです。
質感は人間の髪の毛に近いです。
これは黒毛ですが、白や茶色の毛もありました。

こちらは馬の尻尾の毛。
どちらも中国の品です。
尻尾の毛は、洋服ブラシや漆の乾漆刷毛にも使われていますが、
たてがみに比べると固くコシがあります。

どちらも売っていたのは、岡山の小さい町の塗料店です。
この地には「備中神楽」というものがあり、
神楽用のお面を作る材料として販売されているのだそうです。

確かに、能面や伎楽面にもヒゲや頭髪があるものがありますね。
これはロンドン、V&A博物館の東芝ギャラリーにある舞楽面です。

たてがみと尻尾の毛の質感の違いを頭髪、眉毛、あごひげ、口ひげの質の違いに
活かしているわけですね。

そしてもう一つ。
ある方から頂いた、馬毛の織物です。
数種類の馬の毛をうまく組み合わせて織ってあります。

これをくださったTさんによれば、
日本で1件だけあった愛知県豊田市の工場で織られたという貴重品だそうです。
残念ながらもうその工房はかなり昔に閉鎖されてしまっていて
作っているところはもうどこにもないという話です。

調べてみると、馬毛で作った織物は「馬素織(ばすおり)」という名前で、
着物の芯地などに使われていたとのことです。
これは糸の色を変えた凝った作りですから、芯地ではなさそうですが、
固い毛を使った織物の技術ももうなくなってしまったというのは残念です。

2014年1月4日土曜日

麻、麻、麻

東京で製作をするたった一人の漆刷毛職人、田中信行さん。
人毛を糊漆で固めた毛板を、糊漆を塗った檜板に挟み、
接着するときに、檜板の周囲に麻紐をぐるぐる巻きにして固定します。

板に糊漆を塗布し、毛板を挟みます。
4枚の板の間に毛板をうまく挟んで紐を巻きます。
板がずれないように巻くのは結構難しいです。
巻いた紐と板の間に、かまぼこ型の楔(手前の台に乗っているもの)
を打ち込みます。
ねじれがないように平行を調整します。
紐は長いまま、続けて刷毛を巻いていきます。
このまま漆が固まるまで数日待ちます。
紐は切らないで丁寧にほどいて外します。

紐を切らない理由は、このサイザル麻の紐を作る日本の会社がなくなってしまい、
もう手に入らないからなのだそうです。
この紐がなければ漆刷毛は作れない、とまでおっしゃられていました。
楔を打っても耐えられるだけの強靱さと、
引っ張っても伸びない性質が重要なのでしょう。

「サイザル麻」は、麻という名前がつきますが、
大麻の麻(hemp, Cannabis sativa)とは全く違う植物で
リュウゼツランの仲間のAgave sisalanaから採取されます。
サイザルというのは、この繊維を出荷していたユカタン半島の港の名前だそうです。
ちなみに、ダーツの的もこの繊維でできているのだそうです。
海外ではサイザル紐やロープはまだ作られているようですが、
田中さんの使い慣れていた品質には見合わないのでしょう。

ドンゴロス、または南京袋と呼ばれる、コーヒー豆などが入っている袋、
あれも麻袋と呼ばれることがありますが、
あの素材はジュート、または「黄麻(こうま)」という、これまた別素材です。
これはCorchorus capsularisという、シナノキの仲間の植物、
つまり、麻よりもアイヌのアットウシに近い繊維ということになります。
さらに意外なことには、もう一種ジュートと呼ばれる植物に
シナノキ科の植物和名シマツナソ(Corchorus olitorius)がありますが、
これはなんと、モロヘイヤです。
モロヘイヤは花が咲いた後は繊維が固くなってどうにも食べられなくなりますが、
ロープにするほどの素材なわけですね。

他に、バショウ科の「マニラ麻」(Musa textilis)という、
学名にtextileという言葉が入るくらいの植物もあります。
バショウ科、つまりバナナの仲間ですね。
ロープや織物の他、封筒などの紙にも使われています。
沖縄にも芭蕉布がありますが、これはさすがにマニラ麻とは言われませんね。

エコブームで一時、ケナフという素材が話題になりました。
これは「洋麻」ともいう、ハイビスカスの仲間(Hibiscus cannabinus)の植物です。
ケナフはアフリか原産の植物で、生長が大変早いため、
現在では世界各地に移植されて紙などの材料に使われています。

この他、「苧麻(ちょま)」という繊維がありますね。
これはイラクサ科の植物(Boehmeria nivea var.)で、英語ではラミー(ramie)
別名は「からむし」、「まお」、「からそ」と呼ばれます。
日本では福島県昭和村が本土では唯一の産地で、関係施設があります。

新潟の越後上布や小千谷縮は昭和村の苧麻で作られていますが、
八重山上布、宮古上布などは地元栽培の苧麻を使って作られています。

大麻、亜麻、サイザル麻、黄麻、マニラ麻、洋麻、苧麻と
いろいろな麻がありますが、
現在、日本の家庭用品品質表示法によれば、
苧麻と亜麻の2つだけが「麻」と表示して良いのだそうです。
でも、一般に園芸や荷造りに使われている麻紐はジュートですよね。
なかなかややこしいです。

各種繊維の断面や特徴など、
ボーケンさんのサイトにわかりやすく説明されています

2014年1月1日水曜日

あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

今年の元旦は良いお天気で、比較的暖かかったので、
初詣の方も例年より多かったように思えました。

ところで、新年に取り替える、伊勢神宮のお札を「神宮大麻」と言いますが、
木の板なのになんで大麻?と疑問に思ったことはありませんか?
私もずっと理由を知りたいと思っていました。
麻には魔除けの力があるということは知っていましたが、
日本の各地で神社のお参りをすると、注連縄や拝殿にある鈴についた縄に
麻の房がついていることに気づきました。
(しかし、残念ながら写真は撮っていませんでした)
地元の神社の拝殿には鈴がついていないのですよ。

暗くてわかりづらいですが、この、注連縄からぶら下がっているものです。

これはビニール製ですね。

今は何でもネットで調べられるので、検索をかけたところ、
お祓いに使う紙垂(しで)や麻苧(あさお)をつけたものを
大麻または大幣(おおぬさ)と呼ぶことがわかりました。
最初はそれをお守りとして配っていたことから、
伊勢神宮のお札も「大麻」と呼ぶのだそうです。

大麻はもちろん、日本では許可を得た人しか栽培できません。
なので、日本の伝統模様に「麻の葉」という模様があっても、
実物の麻の葉を見たことがある人はごくわずかだと思います。

日本最大の産地は栃木県(下野国)で、「野州大麻(やしゅうおおぬさ)」と言います。
那須には大麻博物館というのもあるのだそうです。

検索したらアマゾンでも普通に売っていることがわかりました。
これは、滋賀県の金物屋さんに売っていたものです。
3年前に2束で800円、結構なお値段です。

下は、インド産の製糸用の大麻です。日本のものとはかなり違いますね。

日本では生の麻というのはまずお目にかかれませんが、
ブータンでは、あちこちに自生していました。
牛や馬が普通に食べているそうです。

例えば、こんな子供が走り回っているような住宅地ですが、

この右手に生えているのが大麻草です。
もっと大量に茂っている場所もあります。

当然持ち帰ったりすることはできませんし、現地でこれを吸ったら即逮捕です。
うっかりどこかに汁がついたりして空港で麻薬犬に疑われないように、
極力近づかないようにしていたために、残念ながらわかりやすい写真がありません。

ネパールでもあちこちに生えているために、
欧米人のヒッピーがこれ目的に住み着いて問題になったこともあり、
ブータンではかなり厳しく取り締まっているようです。
写真の大麻草では丈が低すぎて糸を採るには向かないかもしれませんが、
麻紙とか、繊維を利用できないものかなあとも思います。

以前に「亜麻」の話題を書きましたが、
日本語で「麻」という字がついても、複数種の異なる植物から作られている
というややこしい話を次の機会にさせて頂こうと思います。