昨年夏の中国調査の折、
青海省のチベット仏教の名刹タール寺に向かっている途中、
道路の右横に不思議な光景が。
何やら大きな金色の物体が並んでいて、外では職人が作業をしています。
これは絶対後で寄って見なければ、ということで、
タール寺の見学も急ぎ足となり、骨董を売る店を見る余裕もなく、
その職人街が開いている時間内にと引き返しました。
ちなみに、この付近は住宅や畑がぽつぽつあるような郊外で、向かいも畑。
そんなところに、このようにきれいに塗装が施された長屋が突如建っているだけでも
やはり目を引きます。
やはり目を引きます。
さらに、写真ではわかりませんが、
皆がカンカンと金槌をふるっていて
それなりにうるさいです。
歩道の上には真鍮で作られた様々な飾りが置かれているだけでなく、
仕事場にもなっています。
歩道の敷石の上にも作業中の品が広げられています。
日中、歩いている人もほとんどいないとは言え、
日本なら公共の歩道の占拠で道路交通法違反ですね。
商店街の一階は、左端にある一件の食品店を除けば全てが鍛金工房、
それも、仏教関係のものだらけ。
これは、信者がお寺にこういった飾りを寄進することで徳を積むという
チベット仏教の習慣によるものだそうです。
タール寺方面より一番手前の工房から訪ねてみました。
タール寺方面より一番手前の工房から訪ねてみました。
この職人、王さんは現在21才。
彼は子供の頃からこういう仕事がしたいと思い、
地元の鍛金の師匠の元で修行した後、17才で独立してここに工房を構えたそうです。
その時は王さんの工房だけだったのが、その後、続々と他の鍛金工房が軒を連ねるようになり、
いつの間にか鍛金通りができてしまったとの話でした。
つまり、地区や省の方針による都市計画で職人街が形成されたわけではない上、
たった4年くらいで自然にこうなってしまったと。
タール寺に行く車が必ず前を通る場所ですから、作品を並べておけば人目も引きますし、
確かに素晴らしい立地です。
間口は狭い工房ですが、右手の応接室も中で繋がっています。
元々工芸工房として使えるような設計の建物ではありません。
これはヤニ台です。バーナーの火で熱して柔らかくしたところに
金属をしっかり固定してから細かい加飾を施します。
前の記事に書いた「地の粉」の件もあって、
このヤニは何で作っているかと聞いたのですが、
既に出来たものを買っているという答えでした。
ヤニ台に置かれた鏨のいろいろです。
複雑な立体物は溶接して作ります。
これはガルーダの頭部。
うまいですよね。
右手の応接室のテーブルの上には、
彼がこれまで作った作品の写真がきれいに並べられ
上にガラス板が置かれていました。
その他にもアルバムに写真がまとめられていて、
お客さんがこれを見てすぐに注文ができるようになっています。
おそらく切れ者の師匠のアドバイスなのだろうという通訳のGさんの推測です。
その上、隣接する店舗も使い、飲み物やちょっとしたお土産も売っていて、
なかなかのビジネスセンスの持ち主です。
そこでは、王さんが作った料理用のお玉も売っていて、
それほど高くなかったので記念にひとつ買いました。
全て手作りのお玉が1本20元でした。
と、一通りの説明が終わるとすぐに仕事に戻る王さん。
外で仕事をすることでまた人目を引きます。
他の工房も、若い職人さんが何人も仕事をしています。
この通りには10数件が並んでいます。
ちょっと考えると皆が商売敵になりそうな気がしますが、
中国では自動車修理工場なども同じ通りに固まっていることが多く、
それぞれにちゃんとお客さんがいるのですよね。
並んでいる作品をよく見ると、やはり上手い下手があります。
実際、あまりうまくない工房だったのか、閉まっている場所も何軒かありました。
脇目もふらずに仕事をする人達。
鎚の音が響き渡ります。
大きいものを作る時の当て金です。
狭い工房内よりも外で仕事をした方が気持ち良いでしょうね。
「ヤニ」を溶かしているところです。
側にいる人に、これは何?と聞いても説明できないで笑っていました。
実際、何もわからずに見よう見まねでスタートした人も多いのでしょう。
実際、職人街の端から端まで歩きましたが、
作品のクオリティは最初に工房を構えた王さんがやはり一番上という感じでした。
たった4年くらいで郊外にこのような職人街ができてしまうという
現代の中国社会構造も不思議なものです。