2016年7月9日土曜日

ブータンの酒筒職人(1) 足踏み轆轤

2011年の夏にブータン漆調査を行った際、ガイドのTさんから、
モンガルから車で3時間半くらいのケンカル(Kengkhar)に
酒筒パラン(Palang)を作る工房を知っているけど行くか?と言われましたが、
未舗装の道だということで、雨季の土砂崩れも怖くその時は諦めました。

その2年後の2013年、ブータンのテレビ局BBSのウエブサイトに、
足踏み轆轤を使って酒筒Palangの製作を行っている職人の記事が
動画入りでアップされました。

(現在動画は見られなくなっています)

タシヤンツェでは既に足踏み轆轤を使う職人がいなくなっており、
ここも早く見に行かないと電動に変わってしまう!と思いつつ3年、
今年ようやくKengkharを訪問することができました。
道中、一部舗装したての道も通れたものの、
その後は崖っぷちの砂利道続きです。

途中、土砂崩れの場所を何度も通ります。
道が落ちそうな場所も、車幅ギリギリの場所も何度もあり冷や汗ものです。

今日泊まる村はここだとのこと。
車で入れる道は途中で閉鎖されており、
そこに宿泊先の農家のご主人Sさんが待っていてくださいました。
Sさんとと運転手のWさんに
重いスーツケースを担いで運んでもらうのも申し訳ない限りです。

Sさんはタラヤナ財団の援助で家を建ててもらったそうで、
家もまだ新しかったです。

この地区でつくられるPalangもお宅にいくつもありました。

Sさんによれば、BBSの記事に出ていた職人さんの村は、
ここから歩いて2日がかりになる場所なので、
もう少し近いところにいる職人さんの工房に連れて行ってくださることになりました。

近いと言っても、やはり徒歩で1時間近くだったでしょうか?

連れてきていただいたお宅で、まずはなぜか仏画師さんの工房へ。
仏画(タンカ)は仏様への奉仕となるので、
仏画師に場所を貸すのは一種の功徳になるということですが、
実はこの方は職人さんの息子さんでした。

その間に、Sさんが勝手知ったる、という感じで、竃で火を燃やし始めました。

竃の上には麹の種。
これでお酒を作ります。

それを珍しそうに見るお嬢さん。
こんな山奥でもキティちゃんです。

目の前にPalangに使う木が植えてありました。
地元でドンツォ・シン(Boehmeria rugulosa)と呼ばれる木です。
(BBSにはGongtshong shingとありますが、同じ木だと思います)
この材は腐りにくいことから、特に酒筒に使われるのだそうです。

台所の床下に材が保管されていました。

さて、火が必要だった理由は、
木地を轆轤の回転軸に取り付ける、
色を煮出した後のラック樹脂「ラチュ」を溶かす必要があったからです。
現役の足踏み轆轤です!
木地師のDさんの横で慣れた様子でペダルを踏むのはなんとSさん。
息もぴったりで、いつも一緒に仕事をしているような感じ(笑)



挽いているのはお椀の木地です。

ペダルの間に棒を一本たてて、ペダルが絡むのを防いでいます。
これはいい工夫ですね。

Dさんが足踏み轆轤を使われている理由は、
伝統の方法を守っていきたいということと、
貧しいので電動轆轤が買えないからという2つの理由を教えてくれました。
しかし、後でガイドのDさんが言うには、
実は轆轤用のモーターは買ってはみたものの、
この地域の電圧が弱くて使えなかったのだそうです。
そういえば、仏画師さんの工房の隅でモーターを見かけていました。

Palangの木地はこれです。

底を抜いた筒状に作るのですね。
轆轤カンナの柄はタシヤンツェの職人さんより長めですが、
やはり全体を彫り抜くには別の刃物も使うようです。

ところで、なぜ今回このPalangを作るところを見せてもらえないのか
職人Dさんに伺ったところ、
実は木地を回転軸に接着するラチュがもうなくて、
大きい木地が接着できないからというお返事。
私は昨年のブータン調査で深刻なラック不足を聞いていたため、
今回、日本の染色関係の方から、
色素を煮出し後不要になったラック樹脂をいただいていたものを
木地師さんにあげようと持ってきていました。

公共バスの便もない山奥ですから、ラチュの入手もさぞかし大変だろうということで
この職人さんにラック樹脂を差し上げることにしました。
(ご提供くださったY先生、Kさん、ありがとうございます)

それをガイドのDさんを通して職人Dさんに伝えてもらいましたが
Dさんも最初は状況を理解できなかった様子。
この後、我々の宿の農家まで取りにいらして、現物を見てびっくり。
大変喜んでくださいました。
日本の染色関係者が捨ててしまっていたラック樹脂が(もともとはタイやブータン産)
この地で新しい工芸品の製作に役立つというのも不思議なご縁です。

さて、この後はどのようにPalangが完成するかを見に、
別の職人さんの工房にお邪魔します。
(続く)

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この調査はサントリー文化財団の助成で行われました。

2016年7月3日日曜日

ブータンの鍛冶屋(4) Trashi Yangtse

タシヤンツェにはもう一人若い鍛冶屋さんがいるということで
連れて行っていただきました。
もう一軒の鍛冶屋のJさん, 52歳。
両親がチベットからの移民で、Jさんはタシヤンツェで生まれ育ったとのこと。
地元の女性と結婚したので、この家と工房は奥さんの土地に建てたそうです。

Jさんもパタンをはじめ
農具でもなんでも作るそうです。

火床のそばにはいろいろな金属廃材がありました。

そして、外にも材料になる車の板バネが積まれていました。
我々が乗ってきたのと同じトヨタのCoasterのものもあります。



注文品で、このような手斧のような刃物を作っておられました。
木地をくりぬくのに使うということなので、日本と同じですね。
こちらは小さい息子さんがおられました。
こんな小さい頃からお父さんの仕事場に遊びに来ていて
将来が期待できそうです。

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この調査はサントリー文化財団の助成で行われました





ブータンの鍛冶屋(3)Trashi Yangtse

漆器産地のタシヤンツェで、内側銀貼りの杯の銀部分は誰が作っているのか、
ずっと知りたかったのですが、
今回ようやく2人の鍛冶屋さんの訪問が叶いました。
しかし、伝統技芸院講師のKさんによれば、
残念なことに、腕が良かった高齢の鍛冶屋さんは
去年なくなってしまったばかりなので、
腕はいまひとつの若い人のところに行くと言います。。
ブータン人の言う「高齢」はいったいいくつからなんでしょうか。

最初に車を降りたのはタシヤンツェの新しいゾンを見下ろす高台でした。

近所は田植え準備の真っ最中でした。

さらに奥に進みます。

鍛冶のBさん(62歳)のお宅がありました。
ブータン政府のKidoという、チベット移民に土地を分ける政策により
この土地をもらったとのこと。
しかし、残念ながら現在お子さんも全て街に行ってしまい、
現在はこの大きなお宅に犬と一緒に暮しているそうです。

裏に鍛冶小屋がありました。

道具も全て自作だそうです。

しかし、炭だけはヒマラヤゴヨウの炭を買ってくるそうです。

お面などの彫刻に使う小型の刃物を作ってもらいました。。
材料の金属は同様に、トラックの運転手などから買うそうです。

小さくても手間はかかるので値段は同じでした。

日本と違って、鋼1枚でできています。
日本の刃物に比べて研ぐとちょっと硬いので、
日本の砥石だと減りが早く、これもブータンの天然石の方が適していそうです。

Bさんは彫刻刀、木工轆轤加工刃物、農具のほか、
漆杯の銀細工なども注文に応じて作られるとのこと。
しかし、残念ながらBさんのお子さんはどなたも鍛冶に興味はなく、
後継者はいないそうです。

同居のわんこも寂しそうでした。

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この調査はサントリー文化財団の助成で行われました

ブータンの鍛冶屋(2) Radi

ブータン東部は職人が多い地域ですが、
鍛冶屋や金銀細工職人はチベット移民が多いと聞いていました。
タシガンの東、Radiにいた鍛冶、Tさん(52歳)です。

この日は日曜日でしたが、ちょうど近くの農家さんが
鍬の修理を依頼にやってきていました。

インドのTATA製の大量生産の鍬が出回ってるんですね。




この方もチベットからの移民で、職人歴39年のベテランです。
チベットからサクテン、チャリンを経由し、8年前からRadiに住んでいるそうです。
チャリンはRadiの少々南にあり、そこには鍛冶屋さんがひとりいて、
彼が移住する前はRadiの人がみんなチャリンまで持って行っていたので、
今では便利になったと喜ばれているそうです。
硬木の炭はチャリンで入手、
素材の鋼は運転手や南のSamdrup Jongkharで入手するそうです。
運転手?というのは
トラックの運転手が車の板バネを売ってくれるのだということですが、
自分の車の板バネ外して売ってるんじゃないですよね〜(笑)

かっこいいパタン(男性の持つ刃物)も見せてもらいました。
鞘の赤色はペンキだということでちょっと残念。

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この調査はサントリー文化財団の助成で行われました

ブータンの鍛冶屋(1)Paro

日本ではもうほとんど見られなくなった鍛冶屋さんですが、
ブータンですら街を歩いていて見かけるということはありません。
そんな数少ない鍛冶屋さんをご紹介します。

まずは、古くから鉄が取れたことで鍛冶が多かったと言われる
西ブータンのパロの南、ボンデ村の鍛冶屋、Cさんと、お手伝いの方です。
(2011年8月撮影)

素材は、折れたバンドソーの歯です。
これからブータン人男性が持つナタのような刃物、パタンを作るそうで、
鋸歯だった余分な部分を切り落とすところです。
お手伝いの男性は近所の方で、後継者候補だとのこと。




手回しブロワーで空気を送り、熱しながら切断します。


大きな自然石を砥石にしてのダイナミックな刃物研ぎです。

パロに唯一残る轆轤木地師のDさんの使う轆轤カンナを作っているとのことで
ご紹介いただきましたが、
Cさんはいわゆる野鍛冶さんで、農具から何から何まで
頼まれればなんでも作られるそうです。

農業の盛んな地区ですから、この方が引退されてしまうと
パロの農家の皆さんもかなり困るでしょうから、
後継者候補のご近所の方が
うまく技術を引き継いでくださることを祈っています。

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この調査は美術工芸振興佐藤基金の助成で行われました

2016年6月17日金曜日

東ブータンの織り:Mongar郊外

モンガル郊外の、今年の春から3年ぶりにラック養殖を再開したという
農家の宅でお昼をいただきました。

ここにも手作りの織り用の道具がありました。
身近に手に入るもので工夫して作られています。
日本人がこういうことをしなくなってしまったのはいつ頃からでしょうか?
これなら自分も作れそう。

台所の方にはやはり腰機がありました。


腰帯の使い込まれた様子が美しいです。

ここのお宅ではまだ昔ながらの竹筒に横糸を入れていました。
これもかなり使い込まれてますよね。

こんなのも織っている、と見せてくださったのが
このとっておきのキラ。

驚きの細密織りです。
染織の調査に来ているのでないのが残念無念。

一体どんな方が着られるんでしょうね。

この秋以降はご主人が養殖されたラックで染めた糸を使い、
キラが織られるとしたら素敵だなと思いました。

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この調査はサントリー文化財団の助成で行われました。


東ブータンの織り:Rangjung

特に東ブータンでは普通のお宅にも織機が置かれ、
奥さんや娘さんが布を織って副収入にしたり、
さらにはそれで生計を立てている人もおられます。
同行してくださったAさんのご親戚の一件の
RangjungのNさんのところは後者のようです。

お嬢さんが腰機で織りをしています。

機にかけられる前の糸も並んでいます。
家の中にはたくさんの布が。

Aさんの訪問も久しぶりということもあり、
さっそく貴重な布を見せてくださいます。
まずはものすごく手の込んだ織りのハーフキラから。




表にはこれだけ色があるのですが、裏面は

縞模様以外の色糸がほとんど見えません。
これが片面縫取り織りという技法です。
キラ(女性服)一枚分織るのにどれだけ時間がかかるんでしょう?

さらに、金糸の入った豪華なハーフキラも出してきてくださいました。
使い方次第では下品になるピンク色ですが、

金糸も入っているのに上品です。
実はこれ、現女王の結婚式に着られたキラの複製?だそうです。
ちなみに金糸は京都の西陣から特別に取り寄せたのだとか。

西陣織用の金糸の中でも細いものが使われています。

これらのハーフキラ、お値段は日本円で10万前後というのですから、
考え方によっては超お買い得!

これなんか、日本の着物の帯になるわよ〜
と、Nさんが着用。
う〜ん、どんな着物に合わせられるのかわかりません。

これは東ブータン独特の模様、メンタ。
新しいものは化学染料が使われているとは言え、
さすが落ち着いた色合いです。

古いブラのゴーもありました。(男性用の上衣)
間違いなくラック染めです。

いつも謎なのはこのピンク。何で染めたらこの色が出るのか。

Nさんのところでも近年ラックは値上がりがひどく
入手が難しくなっているので、
茜とインドの化学染料でなんとかラックの色を出そうと工夫しているそうです。
かつては近隣の人の分まで数十キロをまとめ買いしていたとのことで、
つまり、織られた布を観光客を含めた人に売るだけでなく、
素材を地元の人に売ってもいるわけです。
面白いですね。

しかし、ここでも改めてブータンのラック不足の深刻さがわかりました。
茜と合成染料で果たしてどこまでラックの色に近づけられるのか、
それとも既にあちこちでそれを見ているのに、気づかないだけかもしれません。


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この調査はサントリー文化財団の助成で行われました。