2014年3月4日火曜日

本都富有瑠漆器

「本都富有瑠漆器」
ご覧になったことがある方はおられますか?
「ぽんとぷうる」とカナがふってありますが、
京都の先斗町(ぽんとちょう)とも字が違いますね。

これは、日本から遠く離れたイギリスのウェールズの町
Pontypool(ポンティプール)で、
漆を真似て作られたいた金属製の塗装品のことです。
現在も骨董で「Pontypool」と言えば、生産地にかかわらず、
金属を黒く塗装して金加飾した器物全般を指します。
この漢字を当てたのは、たまたまこの近くに住んでいた日本人の方だそうですが
漆器?というのは日本人には少々違和感があります。

これは、2003年当時の、ポンティプール博物館内の
ポンティプール製品展示室の様子です。
(現在は改装されたようです)

右手のケースに入っているのが
ポンティプールで一番有名な白と青の花模様の製品です。
模様部分を拡大するとかなりの立体感があることがわかります。

別の製品に描かれた花もまるで油絵のようですが、
本には、この素材は水彩絵具だと説明されていました。
ちょっと信じられません。

金箔だけで加飾した製品もあります。

スクラッチで立体感を出しています。
同じ金箔でも、種類の違う金箔を使ったり、陰影をつけた複雑なものも。

ティーポットやら
飾りトレイやら

このお皿に描かれた模様も典型的なポンティプール模様です。


同じ形の小箱も塗装法の違いでこんなに違って見えます。
金属の上に木目というのは面白いです。

もちろん、漆を意識した東洋風模様の品もあります。

Pontypoolはウェールズでもかなり小さな町で、
辛うじて電車の駅はあるものの、一日に数本しか停車しません。
私が行った日はヨーロッパの記録的猛暑の年の8月で、
線路が暑さで伸びてしまったための徐行運転が続き、
Bristolで乗り継ぎの電車の接続に間に合わず、次の電車は2時間後。
しかし、これが逆に幸いして、タクシー代を全額鉄道会社持ちで、
博物館の玄関先まで送ってもらえました。
Pontypool駅から博物館まで徒歩で30分くらいかかるようでしたから
まさに災い転じて福となす、です。

さて、話は戻って、
どうしてこの土地でそんな産業が発展したのでしょうか?
この地には鉄鉱石と、鉄を溶解する燃料の石炭が産出したのが最大の理由です。
この地に鉄工会社を開いた、ロンドン出身のハンベリー氏の肖像です。
ハンベリー氏の会社は1700年代前半に、
世界で始めて鉄の薄板の製造に成功しました。
さらに、鉄の表面に錫メッキをすることにより、
それまで不可能とされていた鉄の表面への塗料の焼きつけを可能とし、
社員だったオールグッド氏が、漆風の塗装製品の工房をこの地に開いたわけです。
黒い塗料の主成分は、亜麻仁油とアスファルトをベースにしたものですが、
後には黒だけでなく赤や緑なども作られました。
油絵風の絵は、最初の黒塗装を焼き付けた後に
数回に渡って職人が手描きし、焼き付けされたものだということです。

当時の工房の様子です。
ポンティプールの製品は"Japanware"として世界各地に輸出されたばかりでなく、
喧嘩別れした親族が、近隣のUsk(アースク)という地区で、
さらにはイギリス中部や、アメリカでも同様の品が製造されました。
他地区で作られた品も広告ではPontypoolとして宣伝されたこともあり、、
これらが現在でも全て「ポンティプール」と呼ばれているわけです。
日本と全く関係のない土地で作られた製品が世界で"Japanware"と呼ばれているのは
日本人には不思議なものです。

しかし、そんなポンティプールの栄光の歴史は短く、
残念ながら他地区との競合に負けてしまい、1820年には工場は閉鎖され、
親族の経営していたUskの工場も1860年代には閉鎖されてしまったそうです。

博物館の人に教えてもらい、当時の工場のあった通りの坂の上にあるという
記念壁画を見に行きました。

このLower Crane Streetは、当時はJapan Streetとも呼ばれる程だったそうです。

壁画は、トンネルを囲むように作られていました。

ジャパンウエアの製造工程が描かれています。

当時の商品とお店の様子ですね。

説明パネルもちゃんとあります。


これが、そのLower Crane Streetですが、
当時、夏の夕方5時台で、人っ子一人歩いていないような寂しい通りでした。

Bristol駅から博物館まで乗せてくれた50代くらいのタクシーの運転手さんは、
日本人がたった一人で、どうしてこんな田舎町に用事があるの?と
興味津々で話しかけてきました。
「世界でも有名なポンティプール製品を調べに来た」と言ったところ、
自分の親はPontypool出身で、何度も行ったことはあるけれど、
あの町にそんな製品があったことなんかこれまで全く聞いたこともない!
是非両親に聞いてみるし、博物館にも行ってみる、と言ってくれました。

外国人の自分が、地元の人に地元の過去の産業を教えることになるというのは、
この後も何度か経験しました。

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