昨年末のブログにイボタ蝋について書きました。
その中で、「蝋燭にも使われていた」という部分について、
会津の蝋燭は漆蝋で作られていたんじゃなかったかなと、
検索をかけたり調べたりしたところ、
日本財団図書館の「会津の漆蝋の歴史と技術」内
に、「日本山海名産図会」(1799)内に説明があるものの、
現在、伝承が聞くことができないとあります。
この件について、河合省三先生と梅谷献二先生にご質問させて頂いたところ、
梅谷先生より以下のご回答を頂きましたので、
補足させていただきます。
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イボタ蝋の主産地が会津であったことから「会津蝋」と呼ばれていたことの出典は、
小野蘭山の本草講義を息子の小野職孝が筆写して発行した『本草綱目啓蒙』
(享和3<1803>)が廃版になったのを、さらに梯南洋が増補して復刻発行した
『重修本草綱目啓蒙』(全四十八巻、弘化元年<1844>)で、
その「二十七 卵生虫」に登載の白蝋蟲の項にあります。
ただ、会津藩は木蝋の産地として知られ、特産品としてローソクも有名でしたが、
イボタ蝋でローソクが作られた形跡はなく、
おそらく、会津蝋と俗称されていたものは生物由来蝋の総称だった可能性はあります。
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また新たに情報が入りましたらお知らせします。
『重修本草項目啓蒙』第27巻はこちらで見ることができます。
返信削除「イボタロウ」は17コマ目に出て来ます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2569380?tocOpened=1