2013年6月22日土曜日

帝国の残映

アメリカから友人夫妻が4年ぶりに来日ということで、
明治村に行こうという話になりました。
自分も大学1年の時に1度行ったきりでほとんど記憶にありません。
明治村のように、建物が保存されている空間というのは
いつ行ってもあるだろうと安心してしまい、なかなか重い腰が上がらないものです。

前回行った時も帝国ホテルくらいしか覚えてないのですが、
大学1年くらいだと、その価値もよくわからず「何だか凄い」くらいの記憶です。

たまたま今年2月末に、芦屋のヨドコウ迎賓館
を見に行ったばかりで、ちょっとばかり知識があります。
(これについてはまた別の機会に)

当日は残念ながら雨でしたが、
炎天下よりははるかにましで、日本の梅雨という雰囲気も良いです。
友人は、「自分が明治村に来れるなんて考えてもみなかった」と言い、
友人の旦那さんは「自分はライト関係の本はほとんど持っていて
帝国ホテルが壊されたことは知っていたが、
まさか中央玄関だけ残されていたとは知らなかった」と。

さて、帝国ホテルは明治村の一番奥の地区にあります。
お客さんを園内の奥まで連れて行くための策?ではなく、
実は、帝国ホテルは大正12年の建造物であり、
明治の建造物じゃないのです。

ここに移転するまでのさまざまな経緯が、
売店で販売されていた本
西尾雅敏「帝国ホテル中央玄関復原記」2010年 博物館明治村発行
本体900円
(Amazonなど外部書店での取り扱いなし)
に書かれており、現在読んでいる最中ですが
最初の部分だけで、当時の日本の文化財行政の弱さ
(と帝国ホテルの対応)に憤ってしまい
先に読み進めてないんです(苦笑)

こういう事情はいろいろなところに書かれているので省略します。
何と築後たったの44年で、移築されたのは中央玄関部分のみ。
この後ろにパーティールームなど
この両側にホテル客室のウイングがあったというのですから
かえすがえすも残念無念です。


玄関ポーチの部分です。
こんな崩れやすい大谷石をどうやって移動したのでしょう。

玄関の奥のロビー
写真右手の奥に昔は宴会場があったわけですが、
今は赤いカーテンがかかっています。
ここは結婚披露宴などに利用されるために、
その宣伝がカーテン前に、クリスマスみたいな豆電球照明とともに展示されていて
ライト好きの友人の旦那も静かに激怒。
「屋内写真を撮影するのに良いアングルに何であんなみっともないものを置くんだ?!」
まったくもってごもっともで、
その写真は撮影しておりません。

 ライト展で必ず展示される典型的な椅子!!
これに座れるなんて信じられない!!



 二階の喫茶室に上がる途中の角部屋から見た3階に通じるバルコニー。
明かり取りの屋根も何故か複雑な模様。

 二階の喫茶室の椅子は、夏ヴァージョンの椅子だそうです。
この椅子の背面の籐を編む職人さんも今は日本にいないとのこと。
当時の日本人の身長が低かったことで
椅子の座面も低く作られているそうです。

で、最初の疑問。
大谷石もそうですが、外壁全体を覆うスクラッチタイルについても
あれを一枚一枚剥がして持ってきたにしては
完全に形が残りすぎてるなあと思ったら、

この移築に関しては、様式を保持することを最大の目的としたために
オリジナルのスクラッチ煉瓦を模したスクラッチタイルを
近隣の常滑でオリジナルと同じように焼いて作ったのだそうです。
同じ愛知県で良かった!

あ、でも大谷石はやっぱり栃木から持って来たんですね。

※そして、屋外には大谷石を模して作った特製コンクリートも
使われているということを本を読んで今更知りました。

これは天井灯の構造を見せたものです。
この右上にあるやつです。

金箔で加飾した市松模様部分。
うっかり掃除をすると金箔が剥げてしまうので大変だと
二階のカフェの方が説明してくれました。

解説には
「金箔張りガラス
片面に金箔を張ったものを二枚合わせて使用。
一枚だけ金箔を貼ると、他のガラスとの間に空気が入りそちらから色がくすんでくる。
そのため、二枚それぞれに金箔を貼り、弁柄で背中合わせに貼り付けた。」
とあります。


当時使われていた食器もポットもライトのデザイン。

さりげなく置いている家具もオリジナルらしく、
収蔵番号が張られていました。




ここだけで半日居てもいいくらいです。
そんなわけで、他の建物はほとんど見る時間がありませんでした。

オリジナルの部材は屋外にも置かれていました。

友人の旦那さん曰く、
「帝国ホテルは、フランク・ロイド・ライトが日本の美意識を尊重して
設計を行っただけでなく、
日本とアメリカの友好の象徴であり、その点でも重要な文化遺産なんだ。」

玄関部分だけでも残ったから良し、なのか、
全部を守ることができなかった当時の日本の対応を反省するべきか。
いろいろ考えさせられる物件です。
※しかし、現実はたった44年で、屋外の大谷石は酸性雨で溶けて
煤煙で真っ黒になっていたのだそうです。

ちなみに、裏手にあるSL東京駅(明治村内を走るSLの発着所)に
登る側から背面が見えるのですが、
大宴会場部分がないため、単なる壁になっているのは
かなりみすぼらしく感じられてしまい残念でした。

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