2015年3月20日金曜日

漆と酸度(1)

つい最近、近所の革工芸屋さんから頼まれて、
興味のある教室の生徒さんと一緒に革に漆を塗る実験を行いました。
皮や革に漆を塗ることを「漆皮(しっぴ)」と言い、
正倉院や東京国立博物館などに漆皮の箱がいくつも所蔵されています。
以下は、東京国立博物館の所蔵する漆皮箱3点です。


漆皮作品を作られていた先生の影響で、
学生時代のある時期、何人かの学生が漆皮作品を作っていました。
しかし、皮を買っていた浅草の太鼓屋さんが
和太鼓以外の利用を嫌がられ、ある時一気に数倍に値上げされてから、
暫く製作していませんでしたが、
一昨年、久し振りに漆皮の照明器具等を展示する機会があり、
皆さんはそれを見て興味を持ってくださったようです。

革と皮の違いは、鞣し(なめし)がされているかどうかの違いです。
普通、財布やカバンやベルトに使われるのは鞣しがされた「革」
太鼓の皮は、鞣しがされる前の状態で「生皮」と言われるものです。
この「生皮」という漢字は、
業者さんは「なまがわ」と発音されるのですが、
革工芸の方では「きがわ」と読みます。

正倉院の漆皮箱に使われているのはこの「生皮」ですが、
今回は、皆さんが鞣し革と生皮の両方で作ったサンプルをお持ちになりました。
湿らせて形を作って乾かしたり、
染料で染めたり、それぞれ工夫されていました。

もちろん漆がはじめてという方ばかりですので、
念のため、京都の佐藤喜代松商店が販売する、
かぶれにくく、低温低湿度でも乾くのが売りのNOA漆を使いました。
漆がちゃんと硬化するか、数日前から実習場所となる部屋にお邪魔し、
木箱や段ボール箱を持ち込んで湿らせて、ちゃんと固まることを確認した上でです。

しかし、皆さんの持参された作品のほとんどは、翌日になっても漆が乾きません。
漆で金属箔を貼ったものなどは普通に乾きましたので、
ちょうど寒の戻りでもあり、夜に冷え込んだからじゃないかと
改めて箱を十分湿らせてから箱を重ね、乾燥しないようにビニール袋をかぶせて
部屋を十分暖めてからもう一晩置きました。
しかし、ここまでやっても生皮に塗った漆だけが乾きません。
仕方なく家に持ち帰ってあれこれ試してみましたが、
いくつかの生皮だけが乾かないことがわかり、
皮の加工の工程で使われる薬品が問題ではないかと推測したわけです。

一般に漆が乾かない原因として考えられるのは、
油(脂肪)、塩分、酸度、そして不適切な温湿度です。
これらは漆に含まれている、硬化に作用する酵素
ラッカーゼの活性を抑制してしまうのです。

汗もかかない冬ですから、
水に湿らせた生皮を素手で整形した時の手脂で漆が乾かなくなるということは
ちょっと考えられず、
塩だったら、乾燥時に塩が表面に析出するでしょう。
ということで、これは酸度の問題だろうということで、
革工房の方に、使ったのと同じ生皮の切れ端を頂いてきました。

 これが生徒さんが使われていたのと同じ種類の生皮です。

このような独特の毛穴がある、豚の生皮です。

左2つは、犬用チューインガムを湿らせて伸ばした牛の生皮です。


牛皮には豚のような毛穴がないことがおわかりになると思います。
これまで私が使っていたのは、
太鼓の皮と犬のチューインガムに使われていた牛の生皮だけで、
工芸材料店で売られている豚の生皮は使ったことがありませんでした。

頂いてきた切れ端を水道水に浸し、一昼夜置いて、
翌日、pH試験紙を入れてみたところ、 
試験紙では3と4の間くらいの強い酸性を示しています。
これが漆の硬化を阻害していた原因だったようです。
太鼓皮を製造されるOさんにこの件を伺ってみたところ、
豚皮は、過酸化水素などで漂白されたのち、ギ酸などでピック(phを下げる酸性に)
グリセリンとエチレングリコールを浸透させてつくります。
そのため、おっしゃる通り酸性なのです。
中和するために、重炭酸アンモニウム、重曹が安価でいいのではないかと思います。
というお返事を頂きました。
さっそく重曹水を作って皮の切れ端を浸し、
乾燥させてから漆を塗ったところ、見事1晩で乾きました。

ギ酸とは英語でformic acid。
つまり、保存剤として用いられるホルマリン(formalin)を作る
ホルムアルデヒド(formaldehyde)が酸化したものです。
生物標本をホルマリン漬けするのと同じ原理で処理がされていたのですね。
ホルマリンもギ酸も有毒ですから、
犬のチューインガムにはさすがに使われていないのは当然ですね。
乾きが遅かった一部の鞣し革は、
このギ酸か、または鞣しに使ったタンニンが残っていたのかもしれません。
漆を塗っても乾きにくい素材をどう乾かすか、
ひょんなきっかけで面白い実験となりました。

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