2018年5月12日土曜日

ニレ樹皮の利用

正倉院の乾漆伎楽面は
現在、一般的に知られている、
麦漆と木粉を混ぜた木屎(こくそ)よりも圧倒的に少量の漆で良い
ニレ樹皮の粉を使った木屎が使われているという
京都造形芸術大学の岡田文男先生らの研究報告をご存じでしょうか?

ニレの樹皮には天然の水溶性粘り成分が含まれており
通常の木屎(刻苧)のような
小麦粉や米糊のようなデンプン糊を混ぜる必要がないのだそうです。

岡田先生のゼミでは、毎年、大学院生がこの技法で伎楽面を作られています。

これまで何度か、学会や漆の講演会などで、
この復元伎楽面の実物を触らせていただく機会があり、
その都度、その軽さと柔軟性に驚き、
機会があれば自分も使ってみたいと思っていました。



さて、ニレとはどんな木でしょう?
日本では花の咲く時期により、
ハルニレ(Ulmus davidiana var. japonica)
アキニレ(Ulmus parvifolia)の2種があり、
西日本にはアキニレが多いそうです。

気にしていたら、さっそくアキニレがありました。
写真を撮ったのは夏だったので
蝉の抜け殻が大量についていました。


しかし、樹皮はと言えば
育っている木から取るのもしのびなく、
落ちている樹皮を拾いましたが、やはりあまり粘りがでません。
使えるのは新鮮な内樹皮だそうです。

そこで、木材関係のお知り合いの多いKさんに問い合わせをしたところ、
さっそく、北海道のハルニレ樹皮の手配をしてくれました。
しかし、新しくなかったようで、
残念ながら水を加えても粘りが出ませんでした。
(Kさん、その節は大変お手数をおかけいたしました)

そんな作年秋、大阪のT君のおかげで
新鮮なアキニレの樹皮が手に入りました。

T君が長時間かけて金槌で叩いて剥がしてくれました。
木材部は固く、樹皮もかなりしっかりついているようです。
T君には大変なお手間をおかけしました。


固まりのままの樹皮を水に浸すと、さっそくゼリー状の成分が出てきました。


ゼリー状の成分が写真でおわかりいただけるでしょうか?

この、台湾の繞髮柔髮簪博物館(ヘアピン博物館)の動画
さらにわかりやすいかと思います。


これをまず乾燥させてから、すり鉢で細かくしようとしましたが、
かなりの労力に断念。
ミキサーのミルを使うことに。


それを篩って細かくしました。


2種の網で細かいものと荒いものを作り、
ツゲの木粉も比較のため準備しました(左側)

これに水を混ぜて練ります。


ニレ樹皮粉は米糊なしでも木粘土のようにきれいにまとまります。
箆離れもよく、使いやすいです。
しかし、ツゲ粉はボソボソでお話になりません。


ニレ樹皮粉を水で練ったものに漆を混ぜます。
量は少しで良いです。


写真のように、通常の木屎程度の漆を混ぜると、柔らかすぎて使い辛いです。


漆の量を変えたり、粉の荒さの違いで密着度や使いやすさ、
乾燥後の削りやすさなども実験しました。
デンプン質の糊を混ぜるよりも軽く仕上がり、
彫刻刀などで削りやすく、
さらに強固にしたい場合、漆固めもできます。
また、漆分の少ない木屎(刻苧)にしばしば見られる
デンプン質を食べる虫や微生物の害も少なくて済みそうです。

ちなみに、このアキニレの樹皮粉は、新鮮なものほどよく、
1年くらいでこの粘りが出なくなるとのこと。
これがこの技法が廃れてしまった大きな理由のひとつだと思います。

この粘りのもとである多糖類の分析はしていませんが、
以前、苧麻からの繊維取りの時に書いた
苧麻の皮を剥ぐ時にでてくる粘りと同じではないかと考えています。

大麻から繊維を取った後の茶色っぽい繊維を「麻糞(オグソ)」と言うそうで、
「木屎」または「刻苧」(読み方はどちらも「コクソ」)と「オグソ」、
そして、「刻苧」の「苧」の字がここでつながりそうです。
ちなみに、麻の繊維を取るときにでる粘りは、
このページによるとペクチンのようです。

アキニレ樹皮で検索をかけていたら、
アメリカでは薬草茶として販売されているというページがヒットしました。
どんな味なのかと興味津々で、作ってみました。
pHは中性、きれいな色です。

飲んでみると、とろっとして葛湯のようですが、
正直、砂糖か蜂蜜を入れないと美味しいとは言えないものでした。


ちなみに、これがT君が樹皮を剥がした後のアキニレの材です。


赤太と白太の色の違いが面白いです。
これを使って器を作ろうとしましたが、
あまりに固くて、のこぎりで切るのも一苦労、
手彫り作業でもとても刃が立ちませんでした。

2018年3月26日月曜日

蚊帳の再利用

エアコンが普及した現代の日本では、
蚊帳を使っているお宅も多くはないかと思います。
しかし、昔はどの家にもひとつやふたつはあったものでした。

これは、頂き物の古い蚊帳です。
漆の技法のひとつ、乾漆(かんしつ)は、
麻布を糊漆で貼り重ねて形を作ります。
布目に糊漆が入るくらいの適度の隙間のある布が適しているので、
その点、蚊帳は最適なのです。

かつてうちの近隣地区では、
古い蚊帳を細かく切って土壁の木舞(こまい)に入れて補強したので
家を新築するお宅に古い蚊帳をあげる習慣があったそうです。
現在はうちのような田舎でも、土壁のある日本家屋を建てる人もいませんが、
古い蚊帳を持っている家はほとんどないようです。
なので、この蚊帳は関東在住の先生からの頂き物です。

どうして木綿ではなく麻でなければいけないのか?
理由は、繊維の構造の違いです。

木綿は繊維の中まで漆が染みてしまうことで柔軟性が失われ
器物が丈夫にならず、壊れやすい乾漆製品になってしまうのです。
麻は、繊維の中の空洞まで漆が染みないことで柔軟性が保たれ、
つまり、丈夫で割れにくいものができます。
苧麻(からむし)繊維も同様です。

麻布は木のお椀の縁の補強にも使われていますが、
値段を下げる目的と、布目を模様として見せるために
寒冷紗(木綿)が貼られているものもあります。

かつて青森に乾漆用の数種類の荒さの目の麻布を織っていた会社がありましたが、
値段が相当高かったこともあってか、相当前に廃業されてしまいました。
現在、漆屋さんで乾漆用に売られている麻布は中国製のはずですが、
やはり値段は決して安くありません。

もしお宅に使っていない蚊帳があって、
ボロボロだから捨ててしまおうと思われているなら
漆を教えている学校などに問い合わせて
寄付すると喜ばれるのではないかと思います。

この蚊帳は少々モダンで、こんな更紗が使われていました。
隅の補強布もなんだか素敵な模様です。
端布の利用がお洒落です。

そして、いくつもの継ぎもされていました。
一種のモダンアートのようですね。

2018年2月18日日曜日

タイのラック

昨年のちょうど今頃、タイとラオスにラックの調査に出かけていましたが、
タイの報告をほとんど書いていないまま1年が経過してしまいました。

タイはインドに続く世界第二位のラック生産国なのですが、
実はこの2年、タイのラックは夏の猛暑の影響から不作が続き、
関係者が頭を痛めているところなのです。

タイのラックは主に北部ということで、
タイラック協同組合の加盟会社5社のうち4社がある
Lampangを訪問しました。
Lampangの名物は花馬車です。
北部といっても2月のタイは暖かく、半袖の人が多かったです。

あと、名物は鶏です。

タイのラックのほぼ9割が、街路樹などになっている
レインツリー(Samanea saman)を使ってラックを養殖しているそうです。
レインツリーは元々南アメリカ原産の植物ですが、
20世紀初頭に、農民の休憩する日陰を作るため
タイに持ち込まれ
成長が早く大木になることで、あっという間に広まった上、
ラックの養殖に適していることがわかり、
一時は通りのあちこちで養殖が行われていたそうです。

しかし、2012年以降のラックの買い取り価格の暴落から、
かつての養殖地でもラックが見られなくなってしまっていたところに、
猛暑によるラックカイガラムシの死滅で、
この2年は、さらに北部山間部のライチーの木のラックが
辛うじて収穫できていることで繋いでいるのだそうです。

かつてラックが養殖されていた、街路樹のレインツリーです。

買い取り価格が高ければ、これらのラックも残らず収穫されているはずのところ
放置されているということは、
みんなラックに興味がなくなっているという証拠でしょう。

前年のレインツリーのラックがほぼ壊滅状態だったそうで、
ライチーの木で育ったラックの卵を接種した
レインツリーのラック養殖林に連れて行ってもらいました。

ワラに包んだラックの卵が取り付けられていました。

ラック養殖家が、木に登って、枝を取ってくれました。
ご覧のようにかなりの高さです。

枝には第二期の幼虫が付着しています。

拡大するとこんな感じ。これらの幼虫は既に枝に定着しています。

納豆を包むようなワラの中には、卵の入っていた種ラックがあります。
これらのラックも全て回収されて売られます。
古いラックは値段も安いのでは?と思ったら、
既に十分乾燥しているので、生のラックよりも高く売れるのだそうです。

ラック農家さんの倉庫も見せていただきました。
例年ならこの倉庫が一杯になってるはずなのだそうです。

その代わりに大量にあったのは、干したキャッサバの根でした。
デンプンを取るためのものだそうです。
安定収入のため、複数種の作物を扱っているそうで
今ではキャッサバの方が収入が良いようです。

翌日訪問したラック会社の倉庫も、同じような状態でした。
広い工場の片隅にあったのは、全てライチーから取れたラックだそうです。

会社で見せてもらった、ラックをテーマにしたタイのテレビ番組では、
この広い床が全てラックで埋まっていました。
この年は、前年のストックでどうにか乗り切るという話でしたが、
今年はどうしているのか。

ところで、これは遠近法ではありません。
どちらもレインツリーについたラックですが、
手前の枝の太いこと!

ラックカイガラムシは、樹皮の薄い若い枝にしか寄生できません。
つまり、レインツリーの枝は1年でこれだけの太さにまでなるということ。
一本の木から20kgくらいのラックを収穫することが可能なため、
効率よく養殖ができることと、
収穫後半年で元の大きさに戻ることが、メインの寄生木になっている理由です。

ラックだけでは将来食べて行けない可能性があるという危機感から、
この会社も既に他のビジネスをスタートさせていました。
工場を見学させてもらう中で、
ラック洗浄時の汚泥を使った実験耕作地を通り、
さらに裏にある大きな池に案内されました。
不思議に思っていたら、手前の方に石を投げてみせてくれました。
水が真っ赤なのがわかりました。
実は、この水全てがラックの洗浄水なのです。

かつてはそのまま川に流せていたけれど、
近年、排水の規制が厳しくなったため、
このように自然に水分を蒸発させているのだとか。
実は現在、タイでラック色素を作っているのはたった1社で、
残りは全て同様に廃棄しているのだそうです。
皮肉なことに、タイのラックカイガラムシはインドと違うKerria chinensis
インドのKerria laccaより赤色色素量が多いことで知られているのです。

この池の水の色素だけでどれだけの布が真っ赤に染められるのか、
他社の廃棄水も一体どれだけあるのか。。。
想像するだけで気が遠くなりました。

残念ながら、ラック色素を販売できるグレードに精製するには
かなり大規模のプラントが必要になり、
色素が売れる見込みがなければ・・・という理由が大きいそうです。

前年にラックの供給不足を見聞きしたブータン同様、
この後訪問したラオスでは、
ここ3年、染色用のラックが全く手に入らないから
暫くラック染めはしていないという染色工房ばかりに遭遇しました。
どこでもドアがあればすぐにでも届けたい。

繊維染色用のラック色素なら食品用の精度がなくても十分です。
このタイのラックの不作をきっかけに、
色素の活用が検討されることも願うばかりです。


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この調査は生き物文化誌学会さくら基金の助成によって行われました。
関係者の皆様に改めてお礼申し上げます。

2018年1月26日金曜日

ウメノキから桃色

今年の初詣の帰り、いつも通る道で目に入ったのが
桜の木についた大量のウメノキゴケでした。

風向きと日当たりの関係で、北側に大量に生えています。
ウメノキゴケは空気のきれいなところにしか生えないので
量を集めるのは難しい素材です。
手で剥がれる部分だけ持ち帰り、洗って干しました。

たくさんあるように見えても、乾燥しているとそれほどの重量はありません。
しかし、これで数年前から一度やってみたかった
以下の文献による赤色染色の実験ができそうです。

しかし、残念ながら家にはたまたまアンモニア水がありません。
町内の薬屋を数件回りましたが小瓶しか見つからなかったので
とりあえず家にあった炭酸水素アンモニウムで試してみました。

というのも、コケやキノコを使う染めは古くから欧米などで行われていて、
それには子供の尿や古い尿が使われたりしていたのです。
尿素が分解されるとアンモニアになるからですね。
抽出液成分はそれほど厳密にしなくても
なんとかなるんじゃないかという判断です。

まずは、乾いたコケをなるべく細かくします。
リンク先の文献には「ミキサーで粉末にすると扱いよい」と書かれていましたが、
いつも使っている電動ミルでやってみたところ、ご覧の通り。
付着している胞子が飛散してしまうのか、
スイッチを入れた途端に蓋からはみ出てくるほどの
もの凄く濃い白煙が立ちこめました。
一瞬モーターが焼き切れたのかと思うほど。
この粒子はとても軽く、白煙は暫く消えませんでした。
胞子が色に関わっているとしたら無駄ですし、
体にもあまり良くなさそうですから、これはどうもいけません。

ハサミで切り刻むのも鉄分が入って色に干渉するかと思い、
結局手でちぎったので、ちょっと大きい塊です。
セラミックハサミがあれば良かったです。
そこに、炭酸水素アンモニウム水溶液(10%)を加えて混ぜました。

pHは8くらい、弱アルカリ性です。
毎日数回攪拌し、室温(冬なのでかなり低いです)に置いて
10日~1ヶ月で染め液ができるそうですが、
翌日にはこのように色が出てきました。

1週間でかなりの色が出たようなので、
明礬で先媒染した絹を染めてみました。

しかし、写真のようにあまり濃い色に染まりませんでした。

やはりアンモニア水でやってみないと比較できないなと思い、
ネットで注文しました。
その間に追加のコケも洗って干しておきました。

ついでに、炭酸水素アンモニウム水溶液は最初の半分の濃度の5%にしてみました。
アンモニア水は3倍に希釈してもpHは12と、
炭酸水素アンモニウム水溶液の8とは大きな差があります。

瓶に入れて振り混ぜて室内に置きます。

数時間後に既に差が出ました。
こちらが炭酸水素アンモニウム5%水溶液。
前より濃度が低いためか、色の出が悪いです。

こちらがアンモニア水(市販品の3倍希釈)
既にこの状態で圧倒的な差が出ました。

さらに1週間でこれだけの差が出ました。

炭酸水素アンモニウム5%水溶液

アンモニア水の3倍希釈

染液は当然ですが、相当アンモニア臭く、
この液を加熱して染めるとなると、室内がが恐ろしいことになることは間違いなく、
絹の繊維をできるだけ傷めないために、
常温の染め液をチャック付きビニール袋に入れ、
明礬で先媒染した絹布を入れて密封し数時間、
取り出した布は、お酢を希釈した液に暫く浸して中和してから干しました。

左が炭酸水素アンモニウム抽出液、右がアンモニア水抽出液で染めた布です。
右のムラは、チャック付きビニール袋に入れた時にできた皺ですが、
想像以上にきれいなピンクが出ることがわかりました。
元のウメノキゴケの外見からは想像がつきませんね。
染液のアンモニア臭が消えてから加熱染めもやってみようと思います。
(※なお、染まった布にはアンモニア臭は残りません)

名前は「ウメノキゴケ」ですが、これがついていたのは桜の木です。
バラ科の木だけでなく、クヌギやカシなどにもついているのを見かけます。
コケのついた木によって色が違うものかどうかも是非知りたいところです。