2013年4月30日火曜日

丹後の和紙文化

漆漉し紙(うるしこしがみ)というのをご存じでしょうか?
漆を塗る前に漆からゴミを漉して除去するために使う、とても薄い紙です。
別名「吉野紙」とも呼ばれる、
奈良県吉野町の昆布尊夫さん製造の漆漉し紙が一番有名ですが、
他には山形の土屋一郎さんの「麻布紙」(あざぶがみ)と、
もう一つ、
京都の大江町の田中製紙工業所さんで作られているものがあります。

福知山から走るローカル線、北近畿タンゴ鉄道で舞鶴方面に向かうと、
左手に大きな「丹後和紙」という看板が見えてきます。

手前に下がっているのが、楮の皮です。
日光に晒すことで白くなるのです。

今では日本のほとんどの和紙製造業者さんは、日本では那須か高知、
さらにはタイなど海外から楮を購入しますが、
こちらでは自家栽培の楮を使っているというのが特色です。

この地域では明治の終わり頃だけで180戸が和紙製造を行っていたそうですが、
現在はここ1件のみになってしまいました。
現在、4代目の敏弘さん、5代目の正晃さんご夫妻が製造に従事されておられます。

まずは、お店になっているショールームから。
ここで見て触って好きな和紙を選べます。
もちろん、漆漉し紙だけでは商売として成り立たないので、
いろいろ工夫を凝らした多くの種類の紙を作られておられます。

これらはブラインド用に楮の皮などをわざと混ぜた紙です。
見せて下さっているのが4代目です。

現場でうっかり写真を撮り損ねましたが、こちらの漆漉し紙は、
吉野紙や麻布紙の約3倍の面積のある広いもので、
小さく切っても折りたたんでも使うことができます。
(ちゃんと買いましたので、写真は後日アップします)

手漉きの漆濾紙は、1970年代に発明されたレーヨン紙(新吉野)に
瞬く間に駆逐されてしまいました。
レーヨン紙なら現在一枚10数円ですが、手漉きの漆漉し紙は、
昆布さんのところのもので現在1枚が300円くらい、
田中さんの漉し紙は面積が約4倍で800円以上です。
我々のような人間にはなかなか恐れ多くて使えるものではないのですが、
かと言って、誰も買わなければ作る人もいなくなってしまいます。
薄い紙を漉くという熟練の技術を残して頂くためにも、
ひとりひとりが少量でも買って支えることが必要だと考えます。

裏にある和紙のプレス機と田中さん。

 漉き舟です。
 奥様がカミソリを使って一枚一枚、楮の皮取りをやっておられました。

工房に向かって左隣には、福知山市に合併する前の大江町が作った
「和紙伝承館」があり、
田中さんご家族が町から福知山市から委託されて管理しておられます。
入場料は大人1人200円です。


昔使われていた製紙道具や、古文書類が並んでいます。




古い写真も展示されています。


外には、秋に刈り取られた楮の木があります。
楮は生長が早いので、毎年根元まで切ってしまっても、
翌年新たに根元から生えてくるのです。


ミツマタの花も咲いていました。
大江と言えば、大江山の鬼。
鬼も入り口に立っていますね。


この先は「元伊勢」と言って、伊勢神宮が現在の地に定住する前に伊勢神宮があったといわれている神社が複数あります。
ちゃんと外宮、内宮だけでなく、天の岩戸と言われる場所もありました。
こちらのお伊勢さんの方にはお詣りさせていただきました。

2013年4月29日月曜日

素材の宝庫

少々季節感が違う写真で申し訳ありませんが、
2004年10月末にドイツのAichstettenという町に行きました。
この地名だけで、ドイツの一体どのあたりで、
それより一体そこまで何をしに行ったのかわかる人は少ないかもしれません。
人口は1万人にも満たなくても電車の駅も、
さらにホテルも2軒あるという(英語が一切通じませんが)、
ヨーロッパで言えば一種の「町」です。

ここには、世界中の美術館博物館の保存修復家が利用している
美術工芸保存修復材料販売の会社、
Kremer Pigmenteがあるのです。


ロンドンに住んでいた当時、天然樹脂について問い合わせをしたところ、
ロンドンからなら安いフライトが近くの小さい空港まであるから直接見に来たらどうか?
というお返事を、社長のGeorg Kremer博士より直々に頂き、
それは有り難いと、
社長さんのご都合にスケジュールをあわせて出かけました。
社長はいつも世界を飛び回って素材を集めておられるので、
なかなか本社にもおられないそうです。

Aichstetten(カタカナで書けば「アイヒステッテン」でしょうか)の
メイン通りの一本裏の道の真ん中あたりにきれいな建物がありました。


古い水車のある建物を利用された本社です。
壁は天然土顔料を使っての塗装がされており、温かい色合いがきれいです。

 手前に古い水車で使われていた石臼があり、
その後ろには材料を粉砕する新しい機械が見えます。

最寄り駅から空港まで1時間くらいとは言え、
めぼしい観光地があるわけでもないこの小さな町に
どうして本社を構えようと思ったのですか?というのがまず素朴な疑問でした。

クレイマーさんは化学の博士号を取られた後に、
世の中にまだ文化財保存修復で使う
古典素材を扱う専門の会社がないということに気づき、
それなら自分で会社を作ろうと思い立ったそうです。
アメリカも含めていろいろな場所を探したけれど、
町中では素材の加工や、素材をストックする倉庫の場所も考えると
とても高くて手が出なかったけれど、
ひょんなことで見つけたこの、古い水車が裏にあるこの建物がとても気に入り、
ここに本社を構える決意をしたとのことです。
Colour millと言って、昔は顔料や染料を石臼を使って粉にすりつぶしていましたから。

販売している製品の並ぶサンプル棚です。

プラスチックの容器に小分けされて入っています。
各国のクレイマー製品を扱うお店にもこれらのサンプルが配られています。
 本社に直接行った特典(?)として、好きな見本を持って行ってもいいよと言われたのですが、あまりの量に圧倒され、遠慮してほんの少ししかもらってきませんでした。
後悔しています。(今でももらえるかどうかわかりません)


顔料の原石の石などが窓際に並んでいました。

 上の階が加工場になっています。
もちろんここですべてを作っているわけでなく、
他の業者さんから仕入れているものもいろいろあるそうです。

社長のゲオルグ・クレイマーさんです。
クレイマーさんは、京都のナカガワ胡粉さんから胡粉や日本画用の岩絵具を仕入れられておられる関係で、日本にも何度か来られているそうです。

クレイマーさんの製品は、ホームページのオンラインショップ。

の他、日本ではParetさんを通じて購入ができます。



2013年4月28日日曜日

伊勢の名物

伊勢と言えば神宮。
今年は遷宮もあってさぞかし盛り上がっていることでしょう。
お恥ずかしながら私は生まれてまだ1度も伊勢神宮にお詣りしたことがありません。

2008年に鈴鹿市白子町に行って来ました。
目的は、伊勢型紙資料館です。
毎月第4日曜日には型紙彫りの実演も行われるというので、その日にあわせて行きました。

伊勢型紙資料館は、白子町の古い町並みの残る寺家地区にあった型紙問屋の
寺尾家の建物を修復して開館したものです。
近鉄の白子駅からも歩いて5分と、こういった施設の中では交通の便も良く、
入場も無料です。

修理前の寺尾家の写真です。
(館内の展示は撮影禁止なのですが、これは型紙彫実演のある裏の茶室に掲げてあり、
撮影しても構わないとの許可を頂きました。)

伊勢型紙とは、美濃和紙を柿渋を使って3枚貼り合わせたものを、特殊な道具を使って彫って、反物を染めるときの糊置きの型紙としていたものです。
江戸小紋をはじめ、全国で使われました。
美濃和紙と、美濃地方で取れる柿渋を使っているというのに、
美濃でなくどうして伊勢で?という不思議は、
この土地が江戸時代に紀州徳川家の御料地だったという理由があったようです。

と、歴史はさておき。
伊勢型紙の彫り方は大きく分けて以下の4種類があります。
1.縞彫(引彫)
2.突彫
3.道具彫
4.錐彫

これらの詳細は、
白子町の型紙屋のおおすぎさんのホームページに詳しく出ていますので、
こちらをご覧ください。

この日の実演は、突彫の野間得生さんでしたが、
他の彫りのご専門の方も後からいらっしゃっていろいろお話をしていただきました。
野間さん、六谷さん、宮原さん、その節はありがとうございました。

道具彫り用の刃物です
楕円や花びらやダルマなど、特殊な形になっています。
 この刃物の構造はこんな感じで、2つの鋼を糸で縛ってとめてあります。
切りくずは上の方から抜けるようになっています。
(この写真のみ、伊勢型紙のお店おおすぎさんで撮影)

職人さんはこのような鋼の型を使い、炭火で鋼を熱してこの上で叩いて
好きな形になったところで焼きを入れて道具を作っていたのです。
昔の道具彫りの刃物が引き出しに一杯ありました。

砥石の台も特製です。上の面だけ使うのですね。

突彫の野間さんの作業中の型紙と彫り台です。
渋紙5枚が動かないように紙紐で綴じてあります。
先端のとがった刃物で数枚を一気に同じ形に彫るためには、すべての切り口が垂直でなければなりません。台の穴の部分を利用することで、刃物を一気に下ろすことができます。

 作業途中の様子です。最初の模様は古い型紙を使って写します。
渋紙は永久に使えるわけではありませんので、昔から人気のある模様は別の型紙に写されて彫られて使われ続けてきました。

 縞彫のための定規です。
一気にきれいに筋を引くため、あえて真ん中をふくらませた薄い鋼の定規が使われています。真ん中を押さえつけることで、端まで均等に力がかけられるそうです。


この日はいきなりの通り雨がありました。

お屋敷もとても素晴らしかったです。



こちらでは、伊勢型紙技術保存会というものも活動されていて、全国から伊勢型紙の技術を学びたいという人が訪れているそうです。
保存会の皆さんが毎月交替で実演をされるのも保存活動の一環です。

伊勢型紙についてはまた後日書きたいと思います。

2013年4月27日土曜日

生涯現役

職人さんには長寿の方が多いと言われています。
手を動かすことが健康に繋がっているのではないかという話です。

木曽福島には、1917年生まれの96才で現役の木地師、村地忠太郎さんがおられます。
「崖っぷちの木地師」という本に書かれている曲物師さんです。
昨年、有り難いことに仕事場にお邪魔することができました。


玄関横には木が大量に積まれています。


村地さんは、ヒノキやサワラで曲物製品を作られています。

お邪魔した時は小さな小物入れを作っておられるところでした。
小さい品でも作業の量は同じか、逆に手間がかかるくらいだし、
かと言って高くできないから割が悪いんだけど、
こういう物の方がお土産として売れるから注文されちゃうんだよね!

とおっしゃりながら作業する手先は正確!
代々受け継いでいる曲輪を固定する道具が宝物だとおっしゃいます。
同じような形で作ってみてもどことなく具合が悪いそうです。

曲げたヒノキの薄い板を接着して乾燥しているところです。
眼下が川です。

階下に降りる階段の脇にもヒノキの板が!
いい木を見つけると今でも買っちゃうのだそうです。
素晴らしい。

 川を見下ろす仕事場です。
座っている状態で必要な道具に手が届くように見事に配置されています。

 村地さんの鉋。年期が入っています。
左手にある石臼は木を曲げる時の重石に使うものです。

壁には、これまで作った品のゲージとなる型が吊してあります。
何がいつ来ても大丈夫だそうです。

細かい板も木切れも、何かに使えるからと、まとめて取っておいてあります。


 木工作業室が崖に面した下の階で、一階がショールームになっています。
曲輪の技法を活かした照明器具や、菓子皿など、
今でも新しい製品の開発を楽しんでおられます。

木曽福島といえば御嶽山登山の玄関口として栄えた中山道の宿場でもあり、
昔はたくさんの塗師や木地師がいたそうですが、
今では曲物専門の村地さんくらいになってしまったそうです。
村地さんのところには木曽平沢からも注文が入ります。

これまで村地さんのところに弟子になりたいと来た人はいても、
どなたも続かなかったそうです。
「結局食べていけないからしょうがないよね。」と。
特に、一番最近だった方にはかなり期待をされていたらしく、残念そうでした。

しかし、そういう経緯もあったおかげか、
数年前から娘さんが継ぐことを決意され、現在はお父さんと一緒に修行中!!
木曽平沢で漆も勉強しているそうです。
親子展がいつか開催されるのが楽しみです。

2013年4月26日金曜日

パピルス?カミガヤツリ?

紙の語源がパピルスだというのは皆さんよくご存じだと思います。
英語では"papyrus "と綴り、発音は「パパイラス」です。「
パピルス」では通じません。
日本語名は「カミガヤツリ」で、カヤツリグサの仲間です。

ロンドンのヨガの先生のところに大きな鉢植えのパピルスがありました。
仕事でカイロに行くことが決まったた時に、
先生からパピルスの茎を分けていただいたのですが、
飛行機で植物を持ち出すわけにいかないため、残念ながら友達にあげてしまいました。
後日友達が送ってくれた写真です。

エジプトはさぞかしパピルスだらけなんだろうと思っていたのですが、
毎日ナイル川を見ていてもそれらしい草は見あたりません。
パピルスのあるところに連れて行って欲しいとエジプト人に頼んでみたところ、
車は町中に向かっていきます。
不思議に思っていたところ、着いたところはツタンカーメンの絵やらが描かれた
パピルス紙を売っている土産物店でした。

これじゃなくて生きている草が見たいのだと言ったら、
カイロにはパピルスは自生していない、カイロ博物館の前庭くらいにしかない、
と言われ、
また、以前あったパピルスセンターという施設も閉館してしまったということで、
結局1度も本場では生きたパピルス草を見る機会がありませんでした。



上はエジプトのアレキサンドリア図書館、
下はカイロ博物館に展示されている古いパピルス文書です。

「地球の歩き方」などには、パピルスの作り方は、茎を薄く縦にスライスして、
それを互い違いになるように並べて上から押しつぶすとあります。
パピルスの茎に含まれている多糖類が接着剤となり、
薄い繊維同士がくっつくという仕組みです。
しかし、これらの古いパピルスは、現在市販されているパピルスとは
かなり雰囲気が違います。

これが現在市販されているパピルスです。
(と言っても、エジプト風の絵が描かれていないパピルスの入手は
カイロでもなかなか難しいです)

ケンブリッジ大学の出している分厚いエジプトの研究書には、
茎をかつらむきにした幅の広いテープ状のものを使っているのではないか
という説が書かれていましたが、私もそう思います。
ナイル上流のパピルスは茎がかなり太く、
地元の人達はパピルスを編んで小舟を造るそうです。

そして帰国してわりとすぐ、用事で博多に出かけた時、
ある神社の横を通りかかりました。
何やら見たことがあるような形状。
あれ?これはもしかして???

茎が折れて逆さまになっているところから根っこが出ている!
これはもしやパピルス?
そしてこの神社は天神様、ありえる!

さすが九州ではパピルスが屋外でも枯れないのか?と驚いたのですが、
後で友人に聞いたところ、カヤツリグサの仲間には違いないけれど、
これはパピルスじゃないと言われ、ぬか喜びでしょぼ〜ん・・・

しかし、東京の王子にある「紙の博物館」の玄関前にはちゃんと、
楮、三椏と並んで、パピルスの鉢植えが飾られていました。
パピルスは氷点下になると枯れるそうなので、冬は屋内に入れるのでしょうか?

茎の断面は三角形です。

意外にも、昨年秋に行ったロスアンゼルスのHuntington Gardensには、何と屋外の水辺にわしゃわしゃと生えていました。


 さらに驚いたのは、この日の夕方お邪魔した知人のお宅の庭にも、
パピルスが元気に"地植え"されていたことです。
ロスアンゼルスの暖かさをここでも実感しました。

ちなみに、パピルスの増え方は、博多のカヤツリグサ同様、茎が折れて頭の部分が水に浸かると、わさわさした頭の方から根が出、頭の根元に近い方から新しい芽が出て、
元の茎から独立するという不思議なものです。